啓発舎

マジすか? マジすよ

雨降りだから、すこし、このところ。
きのう、肩の荷をおろしたし。

ブンガクとか評論の領域で定期購読しているのは岩波「図書」だけです。
安いし薄いし生息域が似た書き手が多いしずっととってるし。一番さいごの、前からとっていて、自動継続で勝手に引き去りされる、というのが一番確からしい理由だ。


このところ文句が多いのは、たぶん理由がある、自分なりに。
それを書いてみる。長くなるなるかもしれない。


ネットニュースにいちいち反応しないのは、予め「そっち」だとわかっている領域に首をつっこむのはエネルギーの無駄だからです。

そこへいくと、岩波は、まだたまに、「こっち」に属する中身があって、森羅万象悉く、ほとんど悉く「そっち」である私にとって、貴重nあ「こっち」補給源なのであります。


だから文句いう。
ひとつは、けたたましい女どもで、これは、この一行でおしまい。


それ以外について。おとといだか、おもしろい、と「達者」について少し書いた。
「おもしろい」について言い始めるときりがないので、今回は「達者」について。

おれも、以前は、もうすこし理屈っぽくこのブログを書いていた。
流れろか、整合性に気を配っていた。
で、すぐ痛感するのが、理屈にこだわると、とたんに文章がひからびる。
理屈が使命の文章はしかたがないが、おれは別に法学者じゃないから、ほとんど五感に属することだけが興味の対象だから、理屈は、全く無意味ではないとしても、書こうとする中身の優先順位は低い。
リーマン予想を証明しました私の勘だとこれは正しいですQED、では誰も納得しないが、今現にそこの再度テーブルnある萩焼のマグカップの静かな美しさを言葉で説明しようと思ったら理屈はふっとびますよ。


ひまになってからブンガクの世界をたまにのぞきこむようになったが、違和感がずっとある。
この世界、およびこの世界の周辺に巣食っている奴は、ほんとに「ブンガク」に適合しているか。
ブンガクであるとそうでないとにかかわらず、まず、およそ、凡庸な奴はまず、ダメですよそりゃ。
大前提として、才能をきちんと集めているか、ということはある。
ブンガク界、映画とか映像で表現する領域、マンガ、演劇、囲碁将棋、アメラグ、などさまざまな技芸があるが、ジャンルを問わず、創造性を必要とする世界に対しての能力を今広義の「才能」と定義する。
たぶんブンガクは、まずこの段階であまり力のある奴を集めていない。
はなから二流の人士の蝟集する空間だと、いまおれが決めた。たぶんあってる。
次。二流が集まっているとしても、優れてブンガクに必須の感受性なりなんなりを多少でも具備してその授受ができる奴がどれほどいるか。
要するに、ナントカ賞の選評を読んで、書く方も読むほうもダメじゃん、いわんやその周囲で囃し立てる奴をや。
と、銭金界で汚辱にまみれること30有余年の主宰は心底思うわけです。
ガキか、おまえら。

で、そいつらが、人間どうあるべきか、とか、なんかそんなことについて言い始めると、ブンガクのくせに、なんとか主義、とかかんとかイズムとかの四文字熟語を無批判につかっていい出すわけよ。

文章書いて、これもすぐわかるのは、四文字、でも二文字でもいいが、その種の言葉を使って書くのがいちばん楽だし、ものを考えないですむ。
羞恥心のある奴は、あまりそれをしない。
あるいは書きぶりでそれと知れる。

二流の人士が、手垢にまみれたタームを無批判につかって、けたたましくわめく。

夜郎自大が横行する。

ネット界のチーチーパッパをいっているのではない、私は。
それは時間の無駄だ、さっき言ったように。


その種の輩が、すこしは落ち着いてものを考えたり言ったりしようよ、という領域を侵食、蚕食、しているのではありませんかね、この国で。ということです。

ブンガクのみが対象ではない、とりあえず俎上にあげたまで。


そこで、冒頭の「達者」という言葉が活きる。


達者なんですよ。


ベラベラ言葉は出てくるんですよ、どんなお題でも。
高橋源一郎は、座持ちがよいわけですよ、たとえば。固有名詞出してしまったが。
エキセントリックな芸風が欲しければ、M台を配置すればよい。
犬儒みたいなこと言わせたかったら福田、これはもうダメか、を呼べばいい。
ペテンにかけたかったら中沢の登場だ。


「達者」がキーワードだ。
とりあえず、こいつ達者だな、と思ったら反射的にDELITEする。PCからも自分の頭の中からも。
これが、この汚辱にまみれた陋巷にあって、少しは清らかな生活を希求するすべての善男善女に捧げる主宰のお言葉であります。

雨やまねえな。