きのうのN響 テレビだが。
五嶋みどりのショスタコVn協奏曲1番
ジャンルを問わない、およそ表現者は、五嶋さまの前に首を垂れよ。
技術が何のためにあるのか。
完璧な技術のうえに初めて顕現する時空に打たれるのです。
越路も五嶋も、共通するのは、表現するということに対するすさまじい意思だ。
そこまでして、というまでの。
三楽章すごかったですね。慟哭だね。
パーヴォのオケコンはギミック満艦飾で真摯なMIDORIと好対照であった。
細部に不要な抑揚つけまくり、ハンサムな老人バルトークが厚化粧のばばあに変身だ。
それにしても、ショスタコの次に、ショスタコ7番をおちょくりまくるバルトークというプログラムは、それはそれでいいのか。