啓発舎

マジすか? マジすよ

外苑のポプラ並木のあたりまで自転車で遠出。
ニューオータニの脇から迎賓館の正門を横目に信濃町に出る。
清水谷公園というのは、大久保遭難の跡地だったんだ。巨大な石碑があった。
迎賓館は、虚無、という印象。いまのいらの気分の投影か、とも疑ったが、そこらで門を写生している善男善女を含め、やはり、うつろな空間、と感じた。
たとえば、荻窪団地の空き地なんか草ぼうぼうの単なる原っぱだが、ここと比べると、生命の歓喜みたいな空気があった、常に。
帰り信濃町から裏道を通って四谷に出た。どこもかしこも掻蚊学会。背広の見張りみたいな奴も随所にいた。


閉塞感ということばは月並みだが、なんか、どこへ足をのばしても、なんだか、な。





第十七捕虜収容所
 見応えあり。脚本の勝利か。
 いいもんも悪者もいない映画。
 ウィリアム ホールデンは、映画の最後で同房の収容所の捕虜たちに別れを告げるときも、あとで道で会ってもしらんぷりしような、みたいな憎まれ口をきく。
 そりゃそうだ、スパイと疑いリンチまでした男がそうでないとわかり、おまけにゲシュタポに狙われる仲間の脱走に手を貸す、という場だ。
 てめえら衆をたのんでおれをぼこぼこにしやがって、いまさらお気をつけてもねえだろ、ということだ。
 いまのおいらの気分にぴったりだ。
 世間なんてそんなもんです。
 広場に集まって歓迎する群衆を前に、「私が吊るされるときはこの5倍集まるよ」といったヴォルテールは、人間をよく知っていた。