恒例の日曜テレビ観戦。どっきりチャンネル。
森茉莉さん亡きあと、おれしかいない、わけねえか。
今、かわって、でもないか、丸メガネが、収監瞋懲で減らず口叩いているようだ。
内容などどうでもいいのだが、その、フラがない、とでもいいましょうかね、イモ、なの。
メモリーはある、演算はない、というかんじ。
演算とは、感受性だ。および、その体感を、活字なら活字で不特定多数と共有することだ。
批評は畢竟感受性。それないとダメ。致命的。
この人は、おそらく、自分のなりわいにまず必要な、感受性が凡庸であることに、おそらく自分自身とことん気付いている。
福☆和yaのことだが。
それを死に図無、じゃないシニズム、犬儒主義つうんですか、でごまかしている。
傍から見てるぶんには面白いので、このままやってくれ。おれから見るとさらしもの状態だが。
で、本題。
◆将棋のNHK杯が面白い。
解説の青田さん、といってもいまの若いやつはわかんないだろう、真っ青の結果論。
感想戦の三人三様。
ライヴの迫力。
◆討論会は、NHK二線級、テレ朝党首級。NHKは民放より訴求力とか重要性は劣る、ということか。キャスティングみて党首が逃げたということか。
だが、というか、であるが故に、というか、順接か逆接かどっちか迷うが、NHKのほうが断然面白かった。
小沢の党の女と、橋下の子分。
ばかじゃん。
政治家として、というよりも、そこらの道を歩いている善男善女の基準で。
ばか、というと、あほ、につながり、更に与太郎とか橋五郎とか、愛すべきと、つながる文脈もあるが、もっとはっきり、「情報を整理して自らの識見でこれに自らの評価を与える」要は、こうこうだからこう思う、という普通のことができていない。
ついに、こういう奴らが、テレビに出てきて原発どうのこうのという時代になった。
おもしれえじゃん。
拙者、荒れております。
広尾に散歩。いつものたばこありのカフェでビール。
受動喫煙大会。
たばこって、匂いきついから、あたらいまえか、銘柄の違いがすぐわかります。
外人ばっかりなので、甘ったるいにおいが多い。
この寒いのに、戸外で我慢大会してる奴も結構いる。
そこまで、外が好きか。
◆で、テレビだが、ととりもモンスターズもおわりだそうだ。
おいらの好みは、あまり一般的ではないか。
今回のMonsterはよかったのに、名前知らない女優だが。
犯人役次第だ、ととりもモンスターズも。
この種のドラマの犯人は、まず、強靭でなければいけない、したたか、曲者、重層的な感情を表現する力、強く深い情念、も、あるといい。
ということは、女しかない、ということか、犯人役は。
特に、強く、深い感情。
ととり最終回は、いまいちだった。犯人竜雷太は、どう演技しても悪人にみえない。そこらのおじさんだ。
前回、トトリに奥さんがいるらしい、とか、続きものとしての伏線らしき流れもあったのに。
終わり方に唐突感、打ち切りか。
悪くない、と思うけどなあ。
おいらの五感の感受性もぜんぜんあてにならない。
◆清盛。
富士川負けいくさ。
清盛錯乱のシーンは、やはり、長い。見ていてしんどい、日曜の晩は。
頼朝もさることながら、都の大天狗に対する瞋恚、がこの男の終生持ち続けたわだかまり、というかんじは、よくでていた、マツケン。
ちょっと、いいぞ、シーン長いが。