啓発舎

マジすか? マジすよ

続いて、今年の10大ニュース。

◆親知らずを抜いた
◆足の故障
◆丸の内から三番町へ引越し
◆マーチンD45購入
◆京都小旅行
◆恵比寿界隈
◆azabu関連
◆番町麹町界隈
◆不動産市況
◆3月ごろからの自分のある領域の質的変容
◆表層的な生活

しょぼいですね。

最後のなど、ニュースといえるか。

ただし、今年1年を一言でいうと、表層的な生活という言葉は、はまる。
何に比べて。じゃあ、それ以前はどうだったか、ということになるが。

どうだったか、というと、京都には明らかに場所の磁力があった。京都に通った4年間でそれが当方のような凡夫にも、すこしは響いた、ということだ。
ということがしみじみすこしずつわかってきた。というのが今年の唯一の収穫か。

じゃあ、京都に逼塞すればいいだろう。
林住期か。
兼好さんは、あれをすませてから、これを片付けてから、という根性がだめなのだ、なにをおいても、まず飛び込め、とおっしゃるが、当方、未だ、先立つもの、兵站の確保は、など、思い惑い、からきし腰がすわらない。
そんなこんなで来年の除夜の鐘を聞く、ということになりそうではある。

追加。
N響アワー。プレヴィンさんの二日目。
ショスタコは第一楽章と終楽章だけだが迫力あり。
西村さんは、この曲の最近ある解釈によらず純音楽としてプレヴィン氏が構築していたようなことをおっしゃっていたが、これにも違和感。
中間部の救いのない厭世観はどうだろう。
岩槻さんの感想、確か、音のないところの広がりの怖さというようなことを言っていたと思うが、まことに同感。

プレヴィンさんのN響はいいかんじだ。