啓発舎

マジすか? マジすよ

午前中、自宅で割合集中して仕事をしたので、午後、気晴らしに近くの公園へ。
雨上がりの少し重い空気に体がしん、としずまる感じがする。
そこらじゅうの樹々がうれしそうに、気持ちよさそうに枝を伸ばしている。
大好きな季節だ。
広大な、人気のない広場でしばしぼーっとする。

用事があって街まで足をのばすが、駅に近づくにつれて、人の気配が次第に濃くなるのが、なんとも息苦しい。
さっさとすませて、また公園に戻る。

 公園から自宅までは、閑散としていて、いまこうして自宅でぼーっとしているのも、木々に囲まれていた一時間まえとギャップはない、目の前は見慣れた竹薮だし。

 竹の葉は、きりもみ状態で回転しながら落ちる。
はっぱが落ちるというのは、およそ地球上で起こる自然の営みのなかで最も美しいもののひとつだ。
時間が流れるということ、そのものを、純度高く、混じり気なく体感する瞬間。
 いつでも、はっとする。

 ひいやりする重い空気。

 このところ、こうした諸々に背中を押される、その強さに加速度がついていることを、つくづく感じる。

 浮世のあれやこれやも相変わらずで、なかなかままならないところもあるのだが、一方で、収束、というか、あるけじめに向かうベクトルの微妙な力も感じていて、しばらくは、流れに掉ささずやっていくのだろう。

 で、今日の一句。

 竹の葉が落ちる


 どうだろうか、放哉さん。
 墓の裏にまわる、と比べると、あまっちょろい、とは思うが。