きのう芸術劇場をみようと思ってテレビをつけたら、美の壷をやっていた。
雪舟寺は人気ですね、このところ。重森三玲氏のお孫さんもでていた。この人カーサ ブルータスの日本建築特集にもでて、おじいさんの紹介をしていたが、過不足なく、バランスのとれた解説だった。
庭は、それがしも、数は、みた。
重森さんの庭もみた、東福寺で。
はっきり、暑苦しいと思った。
重森さんのお庭は、石がよってたかって、てんでに自己主張して、収拾がつかなくなっている。
空間の意味を全然わかっていない人だと思う。
竜安寺の庭も、当方には、うるさく感じられる。
大仙院など、悪趣味のかたまり。
庭は、石だ。拙者もそう思う。
石の意味は、「存在」そのものです。
庭の中にあって、石というのは、「存在」という抽象的な概念を受け持っている。
庭という空間の中の「存在」。
存在が空間を示唆する。
認識する主体は、空間の美しさに感応する。
これが、庭をみる、観照する、ということの本質だ。
以上は、数をこなしたうえでの当方の結論。
そこらの普通の苔のお庭に、ひとつすっきり石が「ある」そういう庭がいいお庭だ。
簡単なことだ。
今回は、頭の中にあることを、そのまま加工せずはきだしました。