3日土曜日、節分です。
伏見稲荷、吉田神社、と、有名どころに一応行っておこういう軽い気持ちで出かけたのですが、今回も思わぬ展開になりました。伏見稲荷の境内は、にぎわっていました。
話には聞いていた「お化け」ご一行様にいきなり遭遇。
京都では、節分に仮装する風習があり、お化けというんだそうな。
お化けというより、ばっちい見世物といった感じでしたね、当方が目撃した一団は。
この種の趣向は、どうしても俗悪に傾きがち。受けようと思ったら、最小限の粋、諧謔の精神がほしいもんだ、ずいぶん手間をかけて準備したようなのだから、などと思うのは、当方も年か。
お化けは、この後吉田神社でも出会いましたが、ここと似たり寄ったりでした。
折角きたので頂上を極めようと、例の鳥居の連なる参道を登る。
途中の茶屋で一休み。ビール。うまい。
店のおばさんが、知り合いと世間話をしているのを音楽のように聞く。
自然な京ことば。心地よし。
言葉にせよ、さっきの「お化け」の感性にせよ、関西は、粋と無粋の差が極端だ。
一の峯まで上り、さて下山というところで、道を間違え、気が付いたら京都トレイルという山道に迷い込んでいた。
小一時間、日陰の渓流ぞいを歩いて、いいかげん心細くなったころ、民家がちらほら見えるようになり、案内板を見つけて位置確認すると、なんと、東福寺のすぐ隣町。
東福寺。
咄嗟に、一昨年の秋のエピソードが脳裡に。
錦秋の東福寺で、紅葉を堪能し、さて、と立ち寄った雪舟寺。そこでの、美の不意打ち。
ずいぶん前、このブログにも書いた。
道を間違えたのは、なにかのお導きではないか、再訪せよ、という。
で、東福寺へ。
あたりは、閑散、というより、全く人の気配がない。
秋にはごったがえすあの、なんといったか、回廊も枯れ木のなか、侘びた姿はそれなりに風情あり。
冬の午後の透明な日差しの中、無人のお庭は、ひっそりとしていました。
例の、茶室へ。
花のある板張りの位置が、当方の記憶とすこし違っていましたが、全体の印象は、前回とおなじ。
ただ、やはり、二度目は、当初のインパクトは、ありませんでいた。
あの、時間と空間がねっとり溶け合ったような不思議な感じは。
もうひとつの、丸窓のある茶室でしばらく時間を過ごす。
木々のそよぎに静寂が深まります。縦に半分開いた丸窓から差し込む光の美しさ。
やはり、ここには、なにか、あります。
茫然と座っていると、時間がゆるゆる過ぎるのを感じます。
時間がゆるゆるすぎるということ自体の、美。
形象の美しさでなく。
しゅんとして、お寺をあとにする。
ここ、竜安寺(石庭じゃないほう)、修学院、というのは、「なにかある」お庭です、私にとって。
聖から俗へ。
吉田神社。
参道から、夜店がずらりと立ち並び、当方が着いたころは、もう日も暮れていたのですが、人出はどんどん増えるばかり。
盛況です。
ある意味、ほっとします。
楽しいです。
ここの鬼は、裃を着けて、お面だけ鬼、の扮装。
扇子で参詣者の頭をなでて歩いていました。
なにやらてんこ盛りの一日でした。