啓発舎

マジすか? マジすよ

連休は、ヒトが少なくなるので、好きだ。

 

そこらを自転車で回ると、目につくのは観光客と、それと、おまわりさん。

 

なにか行事があるとおまわりさん密度が増すのは、場所柄、しょうがないが、今回は、それにしても。

 

辻々、とよく言うが、それはもちろんのこと。交差点には一人突っ立っている。

加え、今回は、そこらをぶらぶら歩いているのです。

わかる。

警備、というより、そこら中に警官がいる、という明示効果をねらっているのでしょう、きっと。

牽制してるんだろうね、これだけいるんだから、なんか企んでも無駄ですからね、と。

 

それはいいのだが。

 

なんか、散歩してるみたいだぞ。

 

刈り上げ国のパレードみたいに、足思いっきり伸ばして行進するとか。

ジャグリングしながら巡回するとか。

鉦太鼓でビラ撒いて、前進する、とか。

 

役割があるんです、ちんたらじゃないんですということがわかる工夫があればいいか。

 

しかしまあ、こういうお気楽な景色は、まんざら、というかんじもある。

 

この機会にいっとくと、「ちんたら」はこのブログで頻出するが、決して否定的な意味ではない。

 

最近ではN響のVn独奏をちんたら、と形容したが、タコ1をちんたら平和に、予定調和的にやった、ということで、眠いとか、たるい、という意味ではない。

 

だいたい、ちんたらを否定したら、おれという生き物の、ほぼすべてが、意味を失う。

 

しかしまた、それはそれでいいので、おいらの存在に意味はない。

自分を放り投げる、ついでに生きているだけなので、ちんたらはmeaningless、とかいわれても、そんなに褒められると照れちゃうな、ぐらいのもんだ。ともいえる。

 

おまわりさんの話が、とんだ深みにはまりそうにな気配なので、やめにします。

 

今週は、月曜からきのうの木曜まで用事つづき。

 

収穫もあった。

N響ときのうのぼくちゃん。

N響はおととい書いたので、今夜は、ぼくちゃんに登場いただく。

 

AKBよりどちらかというと乃木坂のほうが好き。

 絵にかいたようなロスジェネ。

 

はなやかへいにしたのは、車だったし資料を広げるからファミレスの四人掛けありきだったので他意はない。

980円だかのなんたら定食を指すので、昼メニューでは一番お高いかんたら御膳にオーバーコールしてやった。

それでも樋口一葉で釣りがくる。

 

体中トホホがみなぎっていて、それがおいらの琴線に触れる。

 

今度は、どっかで奮発してやろう。

 

N響下野竜也氏のヴァインベルク

 

 

N響第1911回 定期公演 Bプログラム

 

ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77
ヴァインベルク/交響曲 第12番 作品114「ショスタコーヴィチの思い出に」(1976)
指揮:下野竜也
ヴァイオリン:ワディム・グルズマン

 

 まず、指揮者を褒める。

長尺、凝った造りをよく振り分けた。

次。団員のみなさん、ごくろうさん。この曲で、これだけ抜けの良い響きを実現するの演奏技術は、特に最近、とくに木管、舌を巻きます。

 

というわけで、今夜はビールビールでガソリンは控えめだが、満足極めて高し。

 

ヴァインベルクは、初めて聴く。1976年というから最近の作品だ。

 ショスタコの思い出に という副題から、当然、師匠の影響を全面にだしている。 

実際、木琴、チェレスタ大活躍、弦は、きこきこやるし、ショスタコ節満載なのだが、どうしても素質の違いがでる。

優劣ではない。

タコを聞くと、おれが必ず感じる、なんだろう、痛痒い、とでもいうか、とことん救われない、というか、白昼ぽっかり空いた虚無の穴、というか、そういうのが、全然ない。

清浄。きよらか。

木管金管、弦、と楽器群を鳴らすのがお好きとみた、初回なので、まだ断定はできないが。

たとえばフルートとオーボエの半音ずらした笙のような響き、それに重なる木管群のさらさらした響き。

全奏でも、それぞれの楽器群がきらきら響き、それとわかる。もちろん、溶け込んだオーケストラサウンドもある。

 

達意のオーケストレーションか、指揮者の力量か。

 

ここで、指揮者に。

この人を生で聴くのは初めてだと思うが、端倪すべからざる仁だ。

 

わかりやすい棒。振り分けも見事だから、後ろ姿を見ていると、楽曲の縦の構造がよくわかる。

強奏しても全然混濁しないのは、指揮者か作曲家かN響の演奏技術か。

 

あと、誠実というか、音楽以外の混じり気、ギミックが、ないです。

棒は、音楽のみに従事。

 

なんか、N響でこれだけ褒めるのは、ひさしぶり、という気がする。

 

ので。

啓発舎節も披露しないと、な。

 

前半タコのVnは、全体を通して、営業ひとつこなしました、ギャラはとっぱらいでいただきたい、という印象の独奏者。

カデンツァだけ、少し気合いいれときましたから、と。

 

昔、博多のブルーノートにジョーサンプルがスティーヴガッドをつれてきたのに行ったことがある。

NYのブルーノートで出るためには、契約条件で極東ドサ廻りつきなので、青山九州と巡業するのですね。

しかも、ジョーサンプルがメインだから、クルセイダー節の、例の、ンカンカ、コンコン、のビートをチンタラ刻むだけで、ラモス瑠偉似の面相じゃなかったらガッドとはとても思えない。

で、そのまま終わるか、とおもいきや、最後に、突然鬼の形相でドラムソロ5分、でほんとにおしまい。

客先の百貨店が博多ブルーノートの旦那だったので、関係者のカオでチャージはロハだから、別に文句はなかった、なるほどプロとはこういうものか、と妙に納得した。

 

これを思い出した。

で、今夜も納得。

 

タコの一番は、テレビだがミドリの凄絶な演奏が印象にある。

あと、なくなったプレヴィンが連れてきた女流も、これはホールで聴いたが、熱血だった。

 

この曲は、技術だけじゃダメ、己の表現意思をぶちまけないと、成立しない。

ドロドロ情念パワーは女流に有利か。

 

今夜のおじさんも得意曲らしい。それなりにやってたのかもしれないが、ステージングは、スタンダップコメディアン。チンタラやってるようにみえてしまう。

見かけもだいじだ。

と最後に憎まれ口。

 

 

 

で、さっき自宅ラウンジにて、仕事の打ち合わせ終了、先方若いねえちゃん二人組、して、当初の予想どおりすっかりへこたれた。

 

人生を放り投げてるのと、ぎらぎらしてるのとの邂逅。

 

俳味、ともいえるか。

 

 

 

命をつなぐ、二題。

ユキヒョウが獲物に食らいついたまま、二頭で旋回しながら転落する映像。

地べたに叩きつけられても獲物の鹿をはなさず、なお、崖を滑落する。

 

 

一方、アムールの山系を遠く離れ、海を渡った島国で、大盛無料券を握りしめちんたらタンメンを食う主宰。

 

以上。