連休は、ヒトが少なくなるので、好きだ。
そこらを自転車で回ると、目につくのは観光客と、それと、おまわりさん。
なにか行事があるとおまわりさん密度が増すのは、場所柄、しょうがないが、今回は、それにしても。
辻々、とよく言うが、それはもちろんのこと。交差点には一人突っ立っている。
加え、今回は、そこらをぶらぶら歩いているのです。
わかる。
警備、というより、そこら中に警官がいる、という明示効果をねらっているのでしょう、きっと。
牽制してるんだろうね、これだけいるんだから、なんか企んでも無駄ですからね、と。
それはいいのだが。
なんか、散歩してるみたいだぞ。
刈り上げ国のパレードみたいに、足思いっきり伸ばして行進するとか。
ジャグリングしながら巡回するとか。
鉦太鼓でビラ撒いて、前進する、とか。
役割があるんです、ちんたらじゃないんですということがわかる工夫があればいいか。
しかしまあ、こういうお気楽な景色は、まんざら、というかんじもある。
この機会にいっとくと、「ちんたら」はこのブログで頻出するが、決して否定的な意味ではない。
最近ではN響のVn独奏をちんたら、と形容したが、タコ1をちんたら平和に、予定調和的にやった、ということで、眠いとか、たるい、という意味ではない。
だいたい、ちんたらを否定したら、おれという生き物の、ほぼすべてが、意味を失う。
しかしまた、それはそれでいいので、おいらの存在に意味はない。
自分を放り投げる、ついでに生きているだけなので、ちんたらはmeaningless、とかいわれても、そんなに褒められると照れちゃうな、ぐらいのもんだ。ともいえる。
おまわりさんの話が、とんだ深みにはまりそうにな気配なので、やめにします。