まず。
資本主義が後腐れのない関係性を築くのと符合するように、私たちのコミュニケーションもまた後腐れのないように、不快感の少ないように効率化し、今となっては余計なことをできるだけ知り合わないコミュニケーション、いやディスコミュニケーションが正解ということになっているのではないでしょうか。
筆者は、「ディスコミュニケーション」を否定的な文脈でつかっている。
おれは、ディスコミュニケーションこそ、自分を獲得する唯一の鍵、技術。
と、まったく真逆の評価なれど、この筆者は引用した短い文章で、簡潔に、資本主義、新自由主義をつきつめると起きるであろう事態について、正確に、射貫いている。
おれは、もちろん、歓迎である。
だが、事実は、この筆者の見立てとは違う方向にいっている、すくなくとも、この騒動以後。この国では。
リモート、遠隔。在宅。
仕事終了。
上の見立てだと、そこで銭金雇用関係にもとづくコミュニケーション終了。
PC落として「後腐れなく」以後ディスコミュニケーション。
という流れが、自然だと、おれも思う。
だが、現実はどうも違うようだ。
そこからzoomだかなんだかの仮想宴会をおっぱじめるのだよ。
後腐れない仕事環境がやっとできたというのに。
ばかじゃねえの。
はい、こんなとこ。
どうでもいいにもほどがあるネタは、これが限度。