啓発舎

マジすか? マジすよ

ニューズウィークの「日本ほんとにすごいか」特集を図書館で、まじめに読んだ。
パックンが、日本のお笑いには、風刺がない、アメリカでは権力者へ対抗する根性がある、と出羽守しているが、ばかも休み休みいえ。


おれも日本のお笑いは、嫌いなのが多い。
漫才なんて、ほとんど揚げ足取りですよ、関西若手のマニュアルっぽいやつなんて、ほとんど聞いていられない、生理的なレベルで。

だから、日本のお笑いのお約束事満載のなれ合い芸風はおれもいやだ、賛成。


じゃ、風刺、特に政治家だの強い奴への、がかっこいいか、面白いか、というと、全然そんなことはない。

おれは何度も書くが森羅万象ほとんどどうでもいいが、音楽と面白だけは、常にどうでもよくないので、きちんと向き合ってみたい。30分ぐらいは。

真の面白は、意味を超えた世界に具現するので、面白の本質はあらゆる意味の否定なので、そもそも風刺などは、意味の世界そのものですから、面白の対極にある。
ついでに言うと、おれは漫才もそうだとおもっていて、ボケがシュールなことを言うとつっこみが意味の世界にひきもどすので、一般的な漫才は、おれには、全然面白くない。

風刺 あてこすり
漫才 揚げ足取り
といえばわかりやすいですか。
サラリーマン川柳と五十歩百歩です。

ついでにいうと、じゃあ、ナンセンスがいいか、というと、これも留保をつけなくてはいけなくて、「ナンセンス」というセンス、どうです意味ないでしょう、という見立て自体に「意味」の構造が見て取れる、とんでもないのがある。
たとえば、ラーメンズ、および、これをもてはやす奴は、だからダメです、面白感度ないよ、あきらめな。


パックンは、おれは割と面白いこと言うと思っている。
ただ、NHKの使い方が、教養番組で上から目線の緩衝材としてパックンを重宝するという構造があって、パックンの将来のためにはどうですかね、とはらはらしながら見守って、は別にいないけどね。

今夜は、これぐらいにしといてやる。