かと思うと、さっきこんな話が舞い込んだ。
契約者Aが敷地内駐車場の他の契約者の専用区画に無断駐車をし、一晩明けたら、車に輪っかをはめられ動かせない。
あほう、というだけのことで、もとより当方のあずかり知らぬはなし、おいらは木枯し紋次郎だ。
なんで、おいらのトホホな日常を、こんなことばかりで成り立っている、平素いちいち書くこともかないトリビアをわざわざのせるかというと、きのうの、ツジモトについての好個なケーススタディになるからだ。
今回の契約者Aは、無断駐車するあほうではあるが、自分の非を認め、ごめんなさいで収拾する姿勢のようだ。
普通の常識の持ち主だ。
これがツジモトならどうするか。
輪っかをはめた駐車場の契約者の非をなじる、という挙にでる。
これがツジモトのセオリー。いい悪いとか、でなく。事実として。
◆自分の非に端を発していることは、当然承知している。
◆であるが、原因が自分であることは、都合の悪いことはこれを捨象し、いま現にある事態、被害者の自力救済行為をあげつらう。
今回の件、は管理会社経由で双方に話をつなぐことは、した。
あとは当事者のどつき合い、どう展開するかしったことではない。
純粋観客として、楽しませてもらう。