以下の引用はクズだが。書くきっかけにはなる。
日韓の政府間では緊張が続いているが、民間での連携はペースダウンすることなく深まっている。私の本も先日出た『大市民講座』に続いて、『最終講義』『街場の文体論』『女は何を欲望するか』が出版される。この文化的な開放度の差はそのまま今後の日韓の国力の差に帰結するように私には思われる。
「ウチダの本の韓国語訳が出ることが、どうして日韓の国力の差に結びつくんだ。何をうぬぼれているんだ」と憫笑する人もいるかも知れないけれど、そんな人でも、今韓国の思想家の書物が短期間に十数冊連続的に日本語訳されるということがもしも日本で起きたら、浮足立つだろう。私たちは「起きたこと」については「どうしてそれが起きたのか?」を問うけれども、「起きてもいいのに起きなかったこと」については「どうしてそれは起きなかったのか?」を問う習慣を持たない。
隣国の知識人が(主流であろうと傍流であろうと)何を考えているのかを理解したいという意欲を韓国人は有しており、日本人は有していない。その差がいずれ国力の差としてかたちをとるだろうと私は言っているのである。
「知識人」であるおれさまの本を読む韓国は国力があがり、読まない日本は衰退するぞよ。
とな。
この当否を論ずる体力はない。
内田を好んで読むキムチ共和国を、あんたはエラい、と驚愕するか、内田を読むなんてやっぱりバカだ、と「憫笑」するか、は、まかせるよ。
おそらく、キムチを無批判によいしょする座持ちの良い幇間、程度に見られている、という想像はつく。
旭日旗新聞を擬人化、あるいは、「戯」人化したようなものか。
ところで、朝日の旭日旗意匠になぜキムチは文句たれないか、というのをこないだネットでみたが、これは、ネットの与太情報にしてはめずらしく、肯綮に中るものだった。
朝日もキムチ国でネット、紙あわせて相当数字とってるんだろうな。
ご同慶です。
きっかけ、にしては前置きが長くなった。
カンコクだのジパングだの、国をひとつのカテゴリーにして論ずる愚が、内田特有のおれさま誤謬を通り越して主宰に響いたのが、上のゴタクをひっぱった動機です。
スマホで、同じようにアイドルをおっかけドラマを見、呆けるガキに国境はない。
若い奴、就職氷河期ぐらいが境目か、はみんな一緒、アジアはひとつ。
内田を読むよまないなど、無論関係ない。
たまたまどこに生まれたかだけで、夕刊フジよんでかっかしてるおやじだって、生まれがキムチだったら、不買運動してますよ。
たまたまそこに生まれたというだけ、ばんざいわっしょい、というのは、どうか。
おれにとって、日本、というコトバには、文化とか美意識とか、が沁みているので、自分と関わるところでおいそれとつかえない。
なんというか、羞恥心が邪魔する。
話しかわるが、ツールが好きなのは、ヨーロッパの香り、ということが実は一番なんじゃないか、と今書いていて思った。
おフランスの田舎、セザンヌの山とか、ミレーの田園とか、コローのそよぐ樹木とかが、現にある。
貴重です。
この国でも、日本を感じる瞬間は、たまにあるのですが、いちいちこの書き物では、いいません。
共有できる方とは音声で疎通しているので、文字は、地上波民放ピープルとの連絡帳になりはてる。
身捨つ結局、ここにいきつく。るほどの祖国、は無論ない、あるのは、ささやかな限られた同胞ばかりなり。
結局ここにいきつく。
暑さ、すこしやわらぎました。