小ネタいきます。
◆京都高台寺でアンドロイドの観音様が、般若心経の法話をする。
高台寺は、
観音は人々を救うためにさまざまに姿を変えるとされる。今回はアンドロイドに変身した
とコメントしている。
そもそもアンドロイドなので煩悩は持ち合わせておらず、生まれながらに解脱している、と。
理屈だ。
アンドロイド観音様が人類を解脱にいざなう。
昨夜N響はどうのこうのと書いた舌の根も乾かぬうちになんだが。
1.バレエ組曲「バッカスとアリアーヌ」第2番~ルーセル 2.チェロ協奏曲第1番イ短調作品33~サン・サーンス 3.序曲「ローマの謝肉祭」作品9~ベルリオーズ 4.交響詩「ローマの松」~レスピーギ作曲▽管弦楽=NHK交響楽団▽指揮=ステファヌ・ドゥネーヴ▽チェロ=ゴーティエ・カプソン
テレビでこれだけのものが聴けるとは。
ドゥネーヴという人は、初めて聴く、と思う、媒体を含め。
ヌケのよい音楽をする。
ただ景気いい、というんじゃなくて。
ホールの観衆は、スカッとしただろうな。
こういう、おフランス系で鳴らす資質のある指揮者は、デュ♂ワがいないいまのN響には、貴重だと思う。
堪能。
◆日経ビジネスの連載
「われわれは笑いながら奴隷になっていく」
小田嶋隆というコラムニスト。
この人、理屈を追って読むと、取っ散らかってわけわからなくなることがあるが、理屈をこねるプロセスが時々おもしろなので、たまに覗きに行く。
自分の頭で考えながら書く、ということは誠実にやっている。
で、今回は、松本某を俎上にのせている。
松本を語るもどかしさ、はおれもわかる。
もちろん松本なんてどうでもいいし、むきになるだけ無駄、というのは、おそらく小田嶋氏もふまえている。
そうではなくて、松本が提示する腐臭にまみれた汚物を、よろこんで摂取する、文字通り、クソを食らう、この国の大宗を占める地上波民放視聴者、をどう、たばねてこれを論ずるか、ということに逢着するからであります。
気が重い。
それにチャレンジする、その意気やよし。
おれは、やだよ。体力がもったいない。
その役は、韓半島にまかせたい。
このところ、彼らの、郵便ポスト電信柱はおろか箸が転ぶのも倭人のせいだ、という徹底した他罰の論鋒のトーンが、トランプ決裂で風向きがかわったか、少し弱まっている節がある。
ネジ巻きなおしてド突きまくっていただきたいものだ。
地上波民放を見呆ける善男善女、してその実体は松本に雷同する阿呆、を叩くのに理屈はいらない。
ただし、体力は、凄まじく消耗する、いま、その瞋恚のエネルギーを供給できるのは、世界広しといえども、韓半島刈り上げ文なんとか兄弟一味しかない。