分断の基軸はひとつしかない。
あてがわれる者とそうでない者
だから、国など関係ない。
◆トランプがアメリカを分断しているのではない。
ハンバーガー食う奴とそうでない奴が、わかれているに過ぎない。
◆吉本興業秋元組にあてがわれる松本某と数だけ集めたジャリに興ずる善男善女とそうでない奴がわかれているに過ぎない。
◆ニ三年前に突然現れ、日本語ちょっとね、を、国籍日本というだけで、本来個人が競う競技種目に、「日本」を導入し、「国を挙げて応援」し、国民栄誉賞騒ぎを演ずる多数派と、デビスカップ以外は、個人が競う競技であるテニスに、個人として応援する少数派、おれはジョコヴィッチが好きだ、がわかれているに過ぎない。
◆関東育ちであるにも関わらずコンビニで売ってるので節分には恵方巻を食い、ハロウィンにはなんだか渋谷にいてしまう民草と、なんでいまごろになって海苔巻きくわなきゃいけねえんだという東京人がわかれているだけ。
本家アメリカ以外でハロウィンに浮かれる国は、非英語圏では、このパチンコカントリー以外に、どこかあるか。
ばかか利巧か、主体性か付和雷同か、たぶんひもじいか小金もってるか、とかでなく、この「分断」を計るいちばん適切なものさしは、たぶん、美醜です。
で、思いついたのでついでに書く。
◆顔切り刻む女、に限らない男女と、そうでないヒト。
これこそまさに、美醜、これは外見です内面ではない、の基軸。
書いていて、自分でもあまり愉快でないので、やめる。
何度も書いて自分でもうんざりだが、従って、主宰はこの国を分断する。基軸は美醜。行為は、あてがわれるかそれ以外か。
美しいものに接するのは、空を見上げればいいだけなので楽だが、醜いことはなるべく避ける、避けて通るための技術としてこのものさしは必須なので、自戒のために書いた。