啓発舎

マジすか? マジすよ

北の丸を自転車散歩。
祝祭。樹々の歓びの声が聞こえる。
自分が自分に戻ってきた証拠です。


少し、説明する、自分に。


きのうは、紛れもなく「こっち」界の、しかも重鎮と相まみえたのであった。
これは何度も書いたことであるが、相手が「こっち」であればあるほど、自分を先方に明け渡す、というか、相手との垣根をとりはずす、というか、そういうことがおのずから行われるので、会見というか果し合いというか、一連のやり取りの後、では近いうちに、と別れたあと、自分がお留守になる状態がしばらく続く。
一晩明けて、外で昼飯食って、カフェでぼーっとして、という、リハビリを粛々とこなして、自分が自分にただいまするのをお迎えするのです。
これは、割合心地よいプロセスなので、その過程を味わうのは、至福、といえる。


で、北の丸のほの暗い小道で、梅雨の合間の清冽な大気の中で樹木が安らいでいる、その、感覚が、伝わるのですね。


その、あえかな、微細なゆらぎを感得する、というのは、自分が自分に戻ってきた、引っ込んだ状態、ということです。

自分に退却する、という言い方も、私はよくします。


以上。


というわけで、私も、どうやら、なんとか、たどり着いたようです。