啓発舎

マジすか? マジすよ

キタサンブラックは先頭切って走る。
ケイハツヤジウマオーは最後尾ですらない。
そもそも出走しないんですから。
のみならず馬券も買わない。
参加に関わるすべての事象を注意深く避け、浅草の場外で安酒をあおる。

これでいい、のか。
森羅万象野次馬一筋でいいのか、私は。


と、浮かれた日々を過ごすと、ふと信条が揺らぐことがある。


というのは。
新年早々、訃報が届いた。
勤め人稼業はとっくに足を洗ったのだが、年金だのなんだので消息を明らかにする必要があり、OB会にはまじっている。
会の主要な業務は訃報連絡で、「謹んで」がんがん送り込んでくる。
今回は、職場で一緒だった、奴、というのは年長者に失礼か、方、だった。
思わす、奴、といってしまったのは、生前そいつ、失礼、その方とのエピソードが、なにかの折りに迂闊にも浮かぶと、この野郎アドレナリンが0.5秒ぐらいみなぎる、という反射神経があったからです。
だから、訃報に接してもアドレナリンが、というのが自然な類推だが、実際どうだったかというと、全く平静なのであった。
自分の反応に一拍おいて我ながら意外の感があった。
が、すぐ理解したのは、要するにどうでもいい、ということなのであった。



何度でも同じ歌をうたう。



死ねば、どうでもいいのだよ。
哀悼の意を表するつもりも、さらにないが、せいせいしたという気にも特にならない。


死ねばどうでもいいのだよ。

もちろんそれは当然自分自身にも妥当する。


で、先ほどの問いにもどる。


これでいいのだ。