せろにあす、といえば、モンク、という今日この頃、みなさまいかがお過ごしでせうか。
アルバムタイトル「セロニアスモンクトリオ」を聴いてる。
青い、燭台みたいな物体のジャケット。
なぜだかジャズは能書き垂れる奴が多い。
へ理屈をこねたいだけで、音楽をほんとに愉しんでるのかあやしいもんだ、という奴がジャズ聞く奴の95%という統計がある、おれの周囲100メートル含む図書館文字情報を母数におれが集計したから信頼できるデータだ。
95%の内訳は、「ジャズ評論家」、という稼業が成り立つかしらねえが、93%、素人衆2%といったところだ。
ところで、モンクなんか、うんちく攻撃の最大の被害者といってよい。
よく言われるのが偏屈とかなんとか。
モンク自身がどういうおやじだったかなんて、どうでもいいですよ。
音楽は、へんてこ、ではあるが、偏屈ではない。
孤高とか言う奴もいるが、なに聞いてるんだろう。
おれがモンク聞いてはじめに感じるのは、ほっとする、握手求められる感じです。
例の一本指ソロで、ベース弾きを連れて仲良く散歩。
モンクのセッションは、例外なく、ベースがうれしそうだ。
かくそうとしても、どうしてもにじみでてしまうユウモア。
この国だと、えーと、子規さんです、さしずめ。ジャンル違うけど。
村上春樹は、ジャズの聞き手としては手練れだと思うけど、ときどき信用できない。
和田誠と組んだポートレート・イン・ジャズは、実はときどき寝しなに、読むというか、ながめるというか、する。
モンクのくだりは、なかなか味のあるいい文章だ。花園神社近くのレコード屋のおやじに無理やり買わされたエピソードなんか、いいかんじだ。
ただ、音楽については、「孤独のひとつの切実なかたちなのだ」とまとめてしまうんだよね、通説どおり。
音楽やる奴は、孤独といわれれば、そりゃ、全員そうですよ。
100人のオーケストラで弾いてる、たとえばヴィオラ4列目のおじさん、だって、みんなの中だけど、猛烈に独りですよ。
表現というのはそういうもんだ。
ただし、それが伝わる先は、そうであったりなかったりなかったりする。
なんか、とてつもなく「個」というのがまず届く、という人もいることはいる、坂本龍一なんか、典型だ、いい悪いじゃなく。個性として。
モンクは、その対極だ、おれに言わせると。
暖かくて、とぼけていて、上機嫌で、「今日は、まあ、こんなもんだ、一杯やろうぜ」浜松町は黄昏だ、という、脱力するかんじです。
たまに、無性にこのおじさんと遊びたくなる。