雇われ人は正規も非正規も等しくサラリーマン成れの果て経営者のビビリズムの中でじり貧への道を今日も順調に歩んでいる奴隷の安息ご同慶。
そんな退屈な話はどうでもいいので、今日のテーマは、雇われてない人。
実は、この週末、仕事っぽくて、一人親方集団がらみとか、自分の稼業とかで都内をもそもそしてました。
この稼業は、もともと食うか食われるかなんですが、そこそこありついている奴、一週間食っていなさそうな奴、などいるなかで、今回、ちょっと面白いと思ったのは、食われてるのにわかんない奴、という類型が明らかにあるな、と気づいたことなのでした。
ドボンした人、ぶっ飛んじゃった人、いなくなった人、文字通り、などは、わかりやすいのですが、傍から見ると、おまえはすでに死んでいる、の奴が、いやあこないだね、みたいなのんきなことを言ってる景色。これはシュールですよ、死人がしゃべる。
そいつは、あれだ、親の財産のくいつぶしです。いいようにやられているのだが、全然わかっていない。
賢い奴が必ず生き残るとは限らないが、ばかな奴は必ず沈没する。
ここで、賢い、というのは、サバンナで生き抜く運動神経、というのがいま思いつく定義で、学歴だの国語算数だのではない、もちろん、もうこの前提の前ふりはやめにしたい。
ぶいぶいいわしてる組の代貸、若頭というイメージね。いまはいいが、いつ殺られるかわからない、という緊張感よ。
知恵も腕力も勘も総動員だ。
じゃあ、「ばか」の意味するところははどうか、ばかは、まあ、ばかのことですよと、無限の同義語反復をもって答えとするほかない。