あれこれシリーズ2
◆歯医者
15分で終了。
行くたびにかわる助手、次回予約のとき垣間見た予定表が白っぽかった、待合室に人がいない、などの事象から、鈍感をもってなる私といえどもある心証を形成せざるを得ない。
まあいいや、次回で終わり、と。
◆T氏。
先方に事情があり、久しぶり。
銀座。早目に行って、東急ハンズだの無印だので買い物していたのだが、めっきり御一行様が減った。
T氏相変わらず。最新葬儀屋事情を学ぶ。
◆楽隊
エロイカにのることになって、丸の内で初めて練習参加。
1年のブランクは大きい。
弾くこともさることながら聞くことですね、周りを、これにえらく体力をとられる。
文字通り体力。体で聴くかんじ。
しかしそれにしても、ベートーヴェンは偉い奴だ。
無駄な音が全然ない。
ベートーヴェンって、スコアを見ればすぐわかるが、実は音は割合すかすかだ。
ブラームスみたいに、油絵具の重ね塗りみたいなことは滅多にしない。
特に今回の曲は、三番目の交響曲だから、後期のたとえば合唱なんかと比べて弦の声部はチェロコントラバスはたいていユニゾンでヴァイオリン以下都合4部。合唱なんか、終楽章チェロだけで4声部ぐらいにわかれるところ、あるからな。
だから、音楽の構造が透けて見える、というより、骨格そのものが音楽になっている。
三楽章なんて、見事なものだ。
スケルツォという楽曲形式の構造を、これでどうだ、とレントゲン写真のように提示する。
音楽やるやつ独特の、互いにどことなく冷やっこく距離をとりあう空間を久しぶりに体感して、これはこれで人のあれこれだ、と思った。この距離感は今の当方には負担少なく、そんなにいやじゃない。
みんなが好きな曲だから、すでに割合完成度が高く、ベートーヴェンの音楽になっている。今回はあまりさぼらず顔を出そうと思う。
で、やれやれ終わったどこぞでひとりしみじみ、と、隣の新丸に迷い込む。
銀座の東南アジア化にともなって逃げてきた、この国の原住民の女どもが密集していた。
5階のハッピーアワーやってる店でビールを頼んだら、まわりはほとんど女二人組。
全員同じ顔で見分けがつかない。
ただ、発する音は異なる。
わめく奴、そうでもないやつ。例の抑揚全開の阿呆、そうでもない仁。
いまや女を識別するのは、外見でなく発する音だ、と痛感。
音。声だけでない、靴音とか、それから外見のけたたましい感じどか。これは音ではないか、ヴィジュアルか。
いやしかし、外見から発する音のイメージはある、例えば非常ベルのようなまつげとか、雷のような整形面とか。
どこまで醜くなれるか壮絶なバトルを展開する。
ここで、かすかな救い、光明は、「そうでもない」カテゴリーもある、ということだ。
普通にしてる二人組もたまにあって、こうなると普通は貴重だ、と思うね。
オーケストラの練習の後で、当方過敏になっていたか、そうでもないか、あっちが異常かこっちがナーバスなのか、えーいわからん。
ということで、ひとのあれこれでした。