啓発舎

マジすか? マジすよ

ばかっぽい、というとトラボルタの右に出る奴はいない。
パルプフィクションのラストシーンを見よ。

今日、グリースをやるらしいぞ。
トラボルタのバカスケぶりはみたい。
だが、相手はイルカのねーちゃんだ。

錦織も負けたことだし、見るのやめようか。



で、かわりに、さん喬・権太楼をみた。

さん喬は、ひとまずおいて、権太楼はバカスケか。


ここが急所だ、バカスケ基準の。
権太楼はバカスケか。
確かに、一見バカスケのように見える。
「一見バカスケ」、即ち、実はとんでもない精緻そのもの、というように、見える。
「一見バカスケ」というのは、バカスケではない、という意味。


たしかに、高座での迫力、目つきなんか、尋常じゃない。
いつだったか、主任をつとめた鈴本で、例の「リクエストいかがですか、豪華クルーズフィリピンバンド事件」と、いまおいらが勝手に名付けたネタを散々やりつくしてから(普通はこれで降り)、妾馬かなんかをとことん演じきったことがあって、権太楼師匠おつかれさまでした、見ている私もお疲れ様でした、ということもあったのだが、このときなんか、「一見バカスケ」ですらなかったよ。鬼気迫ったぜ。バカスケの仮面を脱ぎ棄てていた。


でも、意外と素顔は・・・わからん。


そこへいくってえと。さん喬師匠なんかは、まじめ一筋のように見える。
だけど、これも鈴本で見た、そば食いが蛇を見て、の噺なんかは、正真正銘下らなさの高みに達していて感動したことがある。
これは芸の力か。
確かに、中村仲蔵なんかもやるが、ばかばかしい噺を心底ばかばかしくやれるのは、技だけか。
フラじゃないか。

とすると、バカスケ力においては、さん喬師匠のほうが実は一枚上か。


麻生の高みを目指す水準か。


お後がよろしいようで。