啓発舎

マジすか? マジすよ

土曜日終日、丸の内で結構こたえる用事があり、実際体がきつくなったので、3時前にとんづらした。
別にもったいぶるほどのことではなく、単にオーケストラのリハがあっただけなのだが、昼をはさんで午前中2時間午後4時間は、さすがに長くないか。
第九がメインなのだが、終楽章は、ベーの仁、はったりきついっすよ。
ところで「ベーの仁」という呼び方はおいらのオリジナルではなく、亡き小沢昭一氏が、かつて題名のない音楽会でベートーベンの一代記を落語、というのだろうか、講談というべきか、のしつらえで語った傑作があって、そこで楽聖ベートーベンを「ベーの仁」と呼んだのであった。
「江戸っ子だってねえ」「神田の生まれよ」のノリですね。
交響曲でも5番6番あたりは、厳しい、音楽に奉仕する音楽でした。
田園なんか、弾いていて、オーケストレーション、スカスカなんですよ、実は。どの音も必然、余計な音が一切ない。
5番は実験音楽。一つの音型を展開することでけでどこまで行きつけるか、という壮大な実験。
ストイックな、音の構築。この頃は、
そこへいくと、9番目ともなると、やまっ気がみえてますよ、ベーの仁。
見得は切るは、どんちゃん騒ぎはやらかすは、最後はなかなか終わらない(これは他の曲もそうか)は、合唱がはじまるとおいらたちは伴奏なのだが、ベーの仁いいかげんにしてくんろ、と思いますよ。
それでなくとも、一楽章二楽章は労働きついのに。三楽章な眠いのに。


というわけで、日曜日ゾンビ状態。
そこの横町で落語会、ってんで、拙宅のならびのK川詩歌壇なる施設に顔をだしたと思いねえ。

ご近所の善男善女大集合。客の平均年齢100歳、まではいかないか。
どことなくお品を感じさせるのが、このご町内らしい。

噺すほうはアマチュアなので、プロの技術は望むべくもないが、一人、感じいった方がいた。

おじいさん。強情灸。
落語をかたる、というより、淡々と世間話をしているかんじなのだが、その語りが、心地よい。
音楽。

鈴本あたりで入れ替わり立ち替わりのなんとか亭の比ではない。

おれ、思うのだが、落語ってプロとアマの距離、短くないか。


結局、なかみではなく、語りの音楽がすべて、と今、言い切ってしまうと、東京の下町言葉でしゃべれる年よりの一人勝ちではないか。



おれさまの出番か。
そんなに間口を広げてどうする。
少し頭を冷やそう。