折角だから落語の続き。
寄席は、30過ぎてから、妙に通い出した。
落語は、何年かに一度小さいブームのようなものがあったが、おれが鈴本とかで暇潰しするようになったころは、全然はやってなくて、週末でも空席が結構あった。
妙に、というのは、きっかけが思い出せないんです。
ぶらぶら浅草まで足をのばして場外馬券のあたりでまずい酒を飲んだり、少しはましなのを、というときは松風で、というようなかんじさ。
隅っこでひっそり、という気分だったんだろうね。
今、会長やってる市場師匠なんて若手で昼席のはじめのほうでしょっちゅう出てましたよ。
亡くなったけど、志ん五なんかも面白かった。
時間つなぎで浮世床を適当にはしょってやってました。
主任でまじめにやった妾馬なんか、よかったですよ。
あまり、贔屓というのはなくて、入れ代わり立ち代わりをぼーっとながめているのがよかったんだろうね、落ち着けて。
だいたい面白かったよ。
さん喬さんも権太楼も。
志ん朝師匠の、役人だまして見回り小屋で酒飲む噺なんか思い出しますね。
ほんとうに旨そうに呑むんだよね、枡を。
てな具合で、やってるほうも、日々の業務をこなしてます、という適度な脱力があった、ように思う。
40の声をきくころ、ばったり行かなくなった。
寄席は、だから、おいらの30代の心象みたいのと結びついている。
落語家は、なんか、えらくなりました。
談志円楽はおれがガキのころから文化人ともてはやされていたけれど、一貫して、全然ダメでした、おいらは。
円楽は、なに聞いても叱られてるような気がしたし、談志は小利巧なだけじゃねえか。
一貫して。
晩年に至るまで。
よく、落語家の資質で「フラ」ということを言うが、それだけじゃだめだ。
トホホですよ、本質は。
誓って言うが、落語家のほんとの資質はトホホです。
これがない奴は、ダメ。
以上。