啓発舎

マジすか? マジすよ

◆いささか旧聞に属するが、朝まで生テレビでの勝間和代氏の発言抜粋をさっきyoutubeでみた。
 どこかのメディアで勝間氏の発言に抗議殺到、みたいな一行情報を見たが、深堀りしていなかった。
 誰かの失言をあげつらって一斉に叩くのはあまり好きじゃないし、そもそも勝間なんとかさんという人に、それほど、叩かれるほどの重みを感じていない、ということもあったかと思う。早い話が、どうでもいい、と。
◆で、まあ、今日、みた、と。ネットでひっかかって。
◆これは、ひどい。
 失言じゃない、ということ。意図的である、ということ。

以下、抜粋および要約。
 「放射性物質が実際よりかなり怖いと思われていることに問題があるのではないか」
 「放射線がちょっと増えただけだけなので問題はないのではないか」
 「プルトニウムは、たまたま多いだけで特に大きな危険はないはずだ」
 「チェルノブイリの事故で小児甲状腺ガンは顕著に10倍ぐらい増えたが、それ以外の病気はクリアに見えてこない」
 「今回の福島原発事故は、むしろマネジメントの問題だ」

 だめおしは、これだ。
 「死者は出ましたか。津波の死者の多さと比べて、報道のされ具合のバランスが悪いと思います」

 ・報道のウエイトは、死者の数によって決まるのか。死者を天秤の片方にぶらさげて目方をはかるのか。およそ人の死の尊厳をこれ以上侮蔑する発言がありうるか。
 ・現在進行中の巨大な危機であること。これから拡大していく恐れがあること。いますでにそこにある危機だということ。報道にとってこれより重大な対象があるか。

 電力会社に金で買われている、とか、放射線の重大さについての基本的な認識がない、など、既に言われていることはこの際、おく。みんなにまかせる。
 特に、金で買われていること自体は、私は、あり、だと思う。どうでもいいと思う。
 そんなこと言ったら、新聞だってテレビだって、既に買収されているではないか。事故後2週間ぐらいまでの日経なんて、すごかったぞ。
 メディアだって主人もちだ。旦那がいる。
 後ろに強面のパトロンがいることを十全に認識しながらメディアには向かわないといけない。メディアリテラシーの、これが基本だ。一般ピープルとしては、しんどいところもあるが。これは仕方ない。今後もそうだ。これは、受ける当方がタフにならなければいけない、と、そういう問題。
そりゃ、金握らされても言う事は言う、のがメディアで発言する人間の最低のモラル、なのかもしれないが、・・・無理でしょ。

 そういうことではなくて。
 津波にさらわれた人、についての、人間としての向き合い方を言っている。
 かわいそう、とか、そういうことでなく、おためごかしでなく。
 こう、生死を超えて通う気持ち、つながる意識、そういうことだ。一緒だ、ということだ。
 海の彼方にさらわれた方がいて、いずれは私もそこに加わる、と、そういうことだ。
 そういうことを、なんていうんだろう、沁みて、日々やっていく、ということだ。

 この国の普通の人の多くは、みんな、いま、そういうことを、頭で考えてるのでない、体で感じているのだ。

 このことは、今回どさくさで書いたが、当方、個人的に、ちょっと重く受け止めていて、いずれ自分なりに整理しないといけない、とは感じている、私個人の未整理のことを少し言ってみた。

 もう、日付けもかわりそうだし、こんな人のためにエネルギー費やすのもばかばかしいし、で、最後にこの人の反省文を、まんま掲げる。
 なお悪い、朝まで〜の発言に輪をかけてひどい。
 「総辞職」のオンパレード。
 違うだろう、辞職しないで、とれるところまで責任しょって踏ん張るんだろう。
 
以下全文

原発事故に関する宣伝責任へのお詫びと、東京電力及び国への公開提案の開示
Posted: 4月 15th, 2011 ˑ Filled under: 政治, 環境, 社会, 経済
今回の福島第一原子力発電所の事故に関し、電力会社(中部電力)のCMに出演したものとして、また、電気事業連合会後援のラジオ番組に出演していたものとして、宣伝責任ある人間として、まずはみなさまの原子力に対する重大な不安への理解、および配慮が足らなかったことについて、そして、電力会社及び政府のエネルギー政策上のコンプライアンス課題を正しく認識できていなかったことについて、心からお詫びを申し上げます。

真っ先に反省をさせていただきたいことは、みなさんにご不安、ご心配をおかけしている事に対するお詫びです。私が、事故後のコメントにおいて、過去のデータや科学的根拠ばかりを強調したあまり、多くの方々が感じている将来への不安や精神的なダメージやに対する配慮を欠くコメントをしてしまったこと、また、不愉快と思われる発言を行ったことについて、重ねて深くお詫び申し上げます。

これまで、単なる事実としてのデータの積み上げだけではなく、その事故を受けたときに健康被害が出る可能性や、風評被害が出る可能性、あるいは精神的なショック全体における心理的なダメージを十分に推し量ることができなかったと感じ、反省をしております。人によって感受性の違いがある、なしではなく、「そう感じている人が多く、不安になっている」という事実こそが、過去データよりも重要であり、その点を十分に理解できておりませんでした。

今後の発言においては、心理面、及び将来リスクの点を十分に理解の上、コメントを行っていく所存です。

また、もう一つの強い反省は、政府及び電力会社が組織内に包含するコンプライアンスの課題を理解していなかったことです。

本来コンプライアンスとは、後で言い訳をするために決められたルールに形式的に従うといった悪しき「法令遵守」ではありません。天災と津波という大災害に対し、今回の原発事故のような有事の際には、まず事態を収拾することを最優先し、場合によっては平時のルールを破ってでも事にあたるのが本来のコンプライアンスであるはずです。

ところが、いま批判されているような東京電力による情報開示の遅れ、政府の指揮命令系統の混乱などは、有事であるにも関わらず、平時の「法令遵守」にこだわった結果として発生した人災です。このような、マネジメント上のリスクの顕在化が今回の事故の深刻化長期化を招いていることは否めません。

特に、初動における菅政権の対応には下記のような重大な問題がありました。

・冷却機能喪失に伴う燃料融溶リスクの過小評価と情報開示の遅れ
・燃料融溶に伴う水素爆発リスクの過小評価
・現場の混乱を助長した菅首相の現地視察
SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)など気象データ開示の遅れ
放射線量と健康への影響に関する不適切な情報開示

上記のことは、国会質問およびマスコミ等の追求により明らかになってきましたが、本来は政府が主導で情報開示をすべきことだったでしょう。

私は、原子力政策がコンプライアンス面において高いリスクを持っていたことについて、過小評価していたことを認め、認識の甘さを痛感しております。

これまで中部電力及び電気事業連合会の仕事を行ってきたことの責任を勘案し、私自身も当事者の一人として本件についてお詫びするとともに、東京電力及び業界全体の改善に向けた申し入れを積極的に行っていくことを約束します。

そして、私は今後の電力業界のあり方および政府の電力行政について、「私案」として、以下のような「公開提案」を行います。これはあくまで現時点での私の提言ですが、とり急ぎこの場を借りて開示させていただきます。

電力業界のあり方および政府の電力行政に対する公開提案 (勝間和代)

1.今回の事故の対応として(是正処置)
東京電力役員総辞職
福島第1原発の国家管理
東京電力の分割(被害者補償会社と事業会社)
・全原子力発電所の徹底した調査(非常用発電機)
・電力会社にいる天下り官僚の総辞職
原子力保安院の解体
原子力安全委員の総辞職

2.リスクを軽減する恒常的な枠組みとして(予防措置)
電力自由化の推進(発電、送電分離により、組織論理の独走を防ぐ)
電気事業法改正(発電規制の緩和、売電自由化、分散化)
・全原子力発電所の冷却装置の改良(電力に頼らない冷却システム)
軽水炉の新規建設の永久凍結。(その代わり、ガス冷却方式のウラン型原子炉やトリウム融溶塩炉のようなそもそも放射性廃棄物があまり出ないタイプの新しい技術については安全性を充分に検証した上で導入する。)

3.改められた仕組みの有効性(監査と監視)
・国際機関による定期的な査察
保安院に代えて、リスクマネジメントに関する、総合的な意見聴取の場を国が新たに設け、メンバーには分野を問わず幅広い人材を登用する。(原子力発電に否定的立場を取る専門家でも、数字やデータで議論出来る人は積極的に登用する。この会の提言は強制力を単なる勧告ではなく、強制力を持った命令とする。)
・定期的なストレステストの実施。(当面は原子力安全委員会に専門機関を設ける形で対応し、将来的には国際機関など第三者によるテストが望ましい。)

上記はあくまで、私の草案ですが、これらの課題について、一部の専門家だけではなく、多くの専門家やユーザーが参加、情報をできる限りデータベースの形式で公開し、聖域なしに議論に参加できる環境を整えることが最優先と考えます。

これまで、電力会社は実質的な地域独占という仕組みが故に、過度な責任を持つことになり、結果として「安全神話」に囚われ、かつ、その担い手としてのリスクを背負い続けました。ところが、今回の事故も含め、これだけの大きな社会的使命とリスクをもった事業をひとつの閉じた系の中で完結させることは、むしろリスクを管理不可能にし、かつ、見えていないリスクについては「なかったもの」と排除させることになるでしょう。

今回は原子力×津波という形で新しいリスクが顕在化しましたが、どの発電方法においても、さらに、どのようなきっかけにおいても、これまで見えていないリスクは無限にあるはずです。だからこそ、リスクをないものとして扱うのではなく、リスクは必ず一定確率で存在するのだから、いかにそれを事故以前、事故の時、そして事故以後に最小化するのかという仕組みの構築こそが、コンプライアンスのあり方だと考えます。

繰り返しになりますが、私自身もその「閉じられた系」の中でしかリスクが見えていなかったことを大きく反省しており、その対応として真摯に今回の公開提案を開示すると共に、その実現に向けた最大限の努力を行っていきたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。

 全文おわり。

 読者よ、これを読んで食傷した口直しは、すまぬが銘々でしてくれ。