啓発舎

マジすか? マジすよ

神楽坂

◆昨夜は、久しぶりに、迷亭さんと神楽坂で3軒はしごしたと思いねえ。
 鶏の店でスタート、T氏ホッピーがあるので頼む。飲む。おれなんか、学生の頃思いだして、いやだけどね。学生の頃の思い出って、OKのことと、うっちゃりたいことがはっきりしている。ホワイトのスプライト割りなんて死んでも飲まねえぞ。いま、その種をハイボールとか言ってるらしいが。
 二軒目は、よくある、ビストロ風。ここで腰を据える。
 三軒目は、例の店にごあいさつ、松井の店だ。ご主人、お元気そうだった。時節柄とか言ってワカメの一品をいただいた。
 今回の一連の流れの話に終始した。なんだかしらないがこの国はかわる、ということについて。おれより過激なスタンスだ。
 30年通うと街も、沁みる。毘沙門さまでM氏を胴上げしたのは、いつだったか。
◆などと書いている今は昼すぎだ。起きて風呂入ってすこしきのうの酒抜いて、ぼーっとして、黒ビール。誰が持ってきたか、たぶん姉ちゃんだと思うが、冷蔵庫にはいっていたビーフストロガノフ。これから先週買ったワインを開けようか、というところ。
◆で、そうだ、南直哉氏と高村薫氏との対談のこと。
 「考える人」は、おもしろい時期もあったが、なんだか雑誌に色気がなくなってきたかんじ。この対談は、たぶん看板だとおもうのだが、消化不良なり。
 南氏がモデルか疑惑は、小説を読んでいない当方には判断する◆じゃない資格はないが、高村氏が南氏の著作を読んだと言っている以上、南氏が指摘する一致点の悉くを偶然とするのは、どうか、と思う。綿密に取材して書くタイプの作家ととことん想像力を働かせる小説家とでも違うかとは思うが。高村氏は、どっちだろう。
◆「信」と「覚」の立場のすれちがい、という感じ。
 つきつめて考える高村氏のアプローチは、ありだと思うが、発言から、その行きつく先が、真宗、と読めたが、おおざっぱに言うと。はて。
 南氏は、自らが「覚」に至る禅セクトの人。
 禅も、修行しようよ、というのが臨済だとすると、曹洞は、もともと悟ってるんだから座禅組もうがどうしようか勝手だ、の立場か、よく知らんが。
◆信じる者は救われる、のか、なんらかの行で自分で自分をひっぱりあげるのか。
◆「行」は、おそらく、脳の認識システムになんらかの変容をもたらす技法であって、それによって得られるビジョンが、究極の平安をもたらす、ことをめざすもの、と今思いつきで定義するのであるが、これは、なかなか厳しい道筋。ただし副産物は結構ある。
◆既に対談のことなどどうでもよくて、当方の思いつきに流れは推移しているが、この流れは、割合、その、あれなので、この辺でワインなど飲もことにする。