で、結局、「空気」に帰着する、京都は。
空間。
岡崎のあたり。寺町通り。青連院から知恩院のあたりの空、月。
どこでもいい、東山を展望できるところ。
もの、では、円山公園から高台寺に抜ける道沿いにある、なんとか詰所の苔と石組み。これは、少し、きた。
東京に帰って、しみじみと思う。ここには、空気の、どこかに抜けるような、一触即発のほとんど妖しい不思議な均衡は、ない。
京都のある地域に普遍的に存在する、あの空気は、ない。
葉っぱが落ちるときにどきっとする、空間の均衡を破るあの感触は、ない。
まあ、これからも、横着しないで、たまに空気を吸いにこよう。