28日は大徳寺月釜。
ずいほういん、三玄院、興臨院の3席。
ずいほういんでは、待合で席をまっていると、京都観光案内の本を何冊かだされている女性のエッセイストの方が水屋からでてきて、しばらく、お知り合いと話をしていました。前回NHKの表千家茶道の番組で進行役をつとめた人。
当方、おー、テレビで見た人、と思い(態度にもでた)、周囲をうかがうと、その場に居合わせた20名ほどのご婦人方は、みなさん当然認識はされたと思うのですが、どことなくひんやりと無反応でした。
興臨院では、次客の席に座らされてしまった。
例によって延々ゆずりあいの果てに正客はなんとか決まったが次客がきまらない。
固辞していると、「それでは席が始まりませんから」と、半東さんの声が荒っぽくなり、周囲からも是非お願いします、と、すこし座の空気が険しくなる。みんな早くはじめたいのだ。
次客ならよかろうと思い、覚悟して席についたが、向かいはずらっと和装の御婦人方。
殺気。
後悔してもおそい。
これだけの御婦人方と小一時間にらめっこしていると、自ずから、それぞれの方から雰囲気のようなものが伝わってくるのですが、「品」のようなものに関しては、着物とか化粧とか、作法の正確さとかではごまかせませんね。
なんというか、うまく「抜けてる」か、ということだろうか。
女の獰猛なエネルギーをうまく飼いならしているか、ということか。
たまにそういう方がいらっしゃいます、みたところ。
だんなの経済力とかでもなさそうだな、その人自身がどう生きてきたかがでるんでしょうね、月並な感想だが。
そこへいくと、お茶の世界に限らないが、当方を含め、きょうびの男は、どいつもこいつもいくじなしだ。
などと妄想しているあいだに終了。
今宮神社のほうに抜ける大好きな竹林の道になぐさめてもらいながら、とぼとぼ駅まで。
ついでに山科の清水焼団地に寄る。陶器まつり開催中。
お茶碗のいいのがあれば、というていどの軽い気持ち。
やはり、というか、1万円程度の茶碗が安物に見えてしまい、困った。
お稽古で永楽のほんもの扱っていますから、こちとら。
かといって、茶碗に50万はだせませんよ。
で、1000円のをゲット、店頭の段ボール箱から。
「お客さん、これ柄はいいけど切れてますよ」
切れる、という言葉の意味がわからない。ヒビがはいっているということだそうだ。
「これ、あげます」
そりゃ、いくらなんでも、ということで、他の茶碗を2つ買い、3つで2000円也。
柄はいちおう仁清写しだぜ。例の、○の中に◆の模様のあるやつ。
これで、自宅で点てるとき、小鉢で代用しなくてすむ。
すこし気分よし。
大枚2000円。で、3つ。
京都駅でかけうどん食って帰宅。
へとへと。