啓発舎

マジすか? マジすよ

琵琶湖畔のたおやかさ

電車に乗って、山科から湖西に抜けるあたりには、独特の風情がある。
京都まではりつめていた体の芯が、山科を過ぎたあたりで溶け出して、堅田を過ぎる頃には、ふにゃふにゃになる。そんな感じ。
車窓から琵琶湖を眺めると、水平の湖岸に低い山並み。平らに広がる空間。
朝な夕なにこの、横に広がる湖岸、たおやかな山並みをぼーっと眺めながら日々暮らすことができたら、と、しみじみ思う。
 
 
 それがし、余り霊感だの第六感だのに自信のあるほうではないが、なぜだか、「場」の波長には感ずるものがある。
 ふにゃっとする感覚を一方の極に置くと、対極は、一刻も早くこの場から逃げ出したいという感覚。
 前者は、たとえば神田神保町、後者は大阪市内全域。

 京都にいるときも、油断もすきも無いというのが、意識の通奏低音。ただ、時に、どきっとするような瞬間があるのが、この街の一筋縄でいかないところでもあるのだが。
 そんな京都から脱出して近江の風光を浴びると、ふにゃっとする。ゆるむ。

 そういえば、お茶のお稽古で堅田幽庵所持三代中村宋哲作の茶入れを使わせていただいたとき、この堅田の大茶人の逸話を聞いた。茶には湖の沖合いの水を必ず使うことにしていて、弟子が横着して湖畔の水を汲むとたちまち見破った、魚のハラミと背の違いを味の違いを完璧に見分けた、等。幽庵焼きはこの人が始めた、とも。
 それは京焼きの一派ですか、と尋ねるのを思いとどまって、ほんとによかった。

 毎日ここらで湖岸を見て暮らしたら、間違いなく気持ちも平らになると思う。
 堅田に住んで茶三昧。
 年にいちど長浜で子供歌舞伎見物。
 なんだか、隠棲の地を近江の国に定めたくなった。

 往く春を 近江の人と 惜しみけり

 芭蕉