神保町で打ち合わせがあるので、昼過ぎ千鳥ヶ淵を通りかかったら、早咲きの、八重桜だろうか、ほころんでるのをみつけた刹那、鉛を抱いたみたいな気分になったので書いておく。
この季節、気の早い桜に接するのは、楽しみだ。だった。
東御苑の二つあるヘリの着陸場所みたいな、おそらくは有事のヘリポートそのもの、の広場で、遭遇することがこの数年は多かったかな。
たおやかな時間の流れ、にやわらかな心地になる、ひと時だ。だった。
それが。
状況説明がいる。
自転車で通りかかりその桜の紅の色に注意を向けると、そこに群がりスマホを向ける観光客とおぼしい複数のヒトビトが同時に視界に入る。
その景色に、気持ちが重たくなった、のでした。
これから、これが始まる。
桜の季節の到来、ということが、こういうイメージに、なった。
予断とか、そういうこと一切なし、とっさに、気持ちが、体がそう反応した。
私の体が、桜の季節を、そう体感する、そういう構造に、主宰の肉体は、なってしまっていたのだなあ。
という気付きを書き留めておく。
その環境で棲息する時空間を共有するヒトビトに長い年月をかけてしみこんだ、醇風とでもいうものは、こうして破壊されていく、と、他人事のように思いました。
めでたし。