啓発舎

マジすか? マジすよ

三越伊勢丹の社長が辞めるが後任未定、と。
株も6%下落。
そらみたことか、というのは好きじゃないが、爆買いで浮かれていた頃から当方は警鐘を鳴らしていた。いう◆、じゃない、資格はあるだろう。
ほんとに大事にしないといけない客はもう戻らないよ、と。
このブログにも当時からさんざん書いて、自分でも辟易食傷だった。
東芝といい、三越といい、ダメ経営陣が当然ダメをやってきちんと業績もダメになる、という、整斉という言葉を使いたくなるような展開が多い。
サラリーマンの成れの果て経営者のご無理ごもっとも体制は、これからも破綻が続くでしょう。ちょっと書くのも面倒だ、任せた、そっちはそっちでこれからも破綻してくれ。


デパートは物心ついたころから遊び場だった。
コースが決まっていて、白木屋高島屋をはしごする。
親父が好きだったんだね。
タクシーで乗り付けると、ドアボーイがいらっしゃいませしてくれた。
両親はまず私と姉をおもちゃ売り場に置き去りにして、夫婦で買い物です。
5階だったかな、一日いても飽きなかった。レーシングカーのコースなんかもあって、昔のデパートのおもちゃ売り場は豪華だったですよ。ミニカー、プラモデル。
必ずなんかひとつ買ってくれるので、吟味しました。
金属製のバットマンカーを買ってもらったときはほんとにうれしかった。
で、食堂でなんか食う。
これはふたつまで許されたので、お子様ランチとクリームソーダ、とか、ずいぶん迷って決めた。


長じて就職シーズンであります。
父方のばあさんは金持ちだったので、日本橋三越でスーツを2着買ってくれた。
ばあちゃんの担当者が張り付いて、二人で株の話ばかりしてましたね。
当時は三つ揃いがブームだったので、おれはあまり好きじゃなかったのだが、窮屈なベストつきでした、
で、飯は、必ず高島屋のとなりにあった美国屋といううなぎ屋だ。
ビルの谷間の木造二階建て。
下足番がいて、食事がおわって二階の席をたって階段をおりると、狭いたたきに、きちんと靴、とばあちゃんのぞうりがそろえてあった。
どういう仕組みかいまだにわからない。名人芸です。

この店は、その後世の流れで建て替えてビルになったら、全然ダメになりました。


と、デパートの思い出はつきない。


合掌。