菫程な小さき人に生れたし
「俳句の世界」小西甚一著を寝しなにぱらぱらやっていたら、子規を論じたところでこの句をひっぱってきて、解釈していた。
それを読んだら寝ている場合じゃなくなった。
そのままうつす。
「なんとも挨拶にこまるほど、かあいらしくて、美しくて、たのしくて、上品な抒情である」と。
今日まで、私はこの句は、「七転八倒」と、普通に思っていた。ついでに言うと、世界を背負ってのたうちまわる漱石さんのにじみでるやさしさ、やさしい、なんて言葉は漱石にしか似つかわしくない、があるから、いまでも寝っ転がって道草の適当な頁を開いたりするのです。
普通に、自分の自我を持て余した漱石さんの慟哭、とよんで、私もしみじみしてました。
少し虚を突かれたので、今ざっと検索したら、さすがに小西さんほど瞳に星をうかべた解釈はあまりないが、肥大した自我と格闘、なんてのは、皆無だった。
自分の当たり前は、ひとさまには通用しない、というのが、このことでもわかる。
それだけ。