啓発舎

マジすか? マジすよ

日曜日、用事のないときは、午前中Eテレで将棋の早指しを最後まで見てからBSで名家拝見の番組をみる。
きのうは、久松真一宅だった。
一時、禅に関する文献は読み漁ったので、西田幾多郎鈴木大拙以下の京都学派もずいぶん読んだ。いまだにたまに手に取るのは、入矢義高ぐらいか。
久松真一も何冊か読んだが、ぴんとこなかった。無位の真人とか、無相の自己というが、手垢にまみれた禅語、禅の俗流解説、という印象しかない。
茶をやるようになって、真面目に茶に志すならこの一冊、と読売新聞社員の兄弟子にいわれて「茶道の哲学」というのを我慢して最後まで読んだが、これはダメ押しだった。俗臭ふんぷんという他ない。

この国で「禅」といわれる、あるいはそれに関連するもろもろが嫌いなのは、こういう減らず口ばかり垂れる、自分で勝手にいい気になっている輩が、よってたかって作出しているからだ。


番組は、面白かった。
建築は、実際にその空間を体感しないと言う資格はないということはわかっているが、映像をみる限り、ずいぶんごてごてしている感じでした。


何週間かまえ、白洲次郎、正子夫妻の家をやったが、これも面白かった。
古民家風の土産物屋、みたいな印象ですね、見た限りは。

おれは、白洲正子も世間がもてはやすほどいいと思わない。
本質はお嬢様芸だ。というのがおれの見立て。


なんか、今夜は、文句ばっかり言ってますね。
機嫌がいいしょうこだ。