啓発舎

マジすか? マジすよ

諏訪内さんのショスタコ その1

第1768回 定期公演 Bプログラム
サントリーホール
指揮:トゥガン・ソヒエフ
ヴァイオリン:諏訪内晶子

リャードフ/交響詩「魔の湖」作品62
ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲 第2番 嬰ハ短調 作品129
チャイコフスキー交響曲 第5番 ホ短調 作品64

チャイ5。
終楽章、きちんと畳みかけて、祝祭気分で終わった。
N響定期のお客さんは、割合クールなのだが、この日は、さすがにあちこちからブラヴォーの掛け声があった。
終演後のロビーでも、帰途につく方から、いや今夜はよかった、いいチャイコだった、との感想がちらほら聞こえた。これもめずらしい。
で、私はどうだったか、というと、今夜はよかった、盛り上がった、と思いました、私も。
こういうのは、どんちゃん騒ぎを素直に楽しめばいい。

で、そこらでビール一杯やって、頭を冷やして、さて、どうか、というと、浮かぶのは、チャイコより、諏訪内さんのショスタコなのでした。

実は、諏訪内さんを生で聴くのははじめてだ。
意外だったのは、音と外観。
外観から。
諏訪内さんの場合、見た目に言及しないわけにはいかない。
テレビで散々みた、という言い方も、ちょっとなんだか、それぐらい、とくに一時期はしょっちゅうお目にかかっていた印象は、転んだら折れちゃうんじゃないか、という華奢なイメージ、ですよね。
それが、実物は、実物という言い方も失礼か、ものじゃないんだから、実際のお姿は、誠に堂々として、マッチョな感じでありました。
面魂もなかなかのもの、化粧薄かったです。

コンサートの感想で、こいつは一体なにをたわけたことを言っているのか。
と自分でも思うが、これはこの方の音を語るうえで、結構大事なことだ。

で、音楽の話をしよう。
ヴァイオリンの音について。
女性ソリストとヴァイオリンについて。
ショスタコについて。

コンサートのいいところは、とくにそれが素晴らしいコンサートであればあるほど、触発されていろんなことを考える、というより、自ずから頭に浮かぶ。
当日だし、未整理なので改めて書くかもしれないが、まず、今夜の諏訪内さんの演奏は、まことに素晴らしいものだった。

独奏ヴァイオリンがソロであったりオケとかけあったり終始弾きまくる、という曲の構成なので、諏訪内さんは最初から最後まで、例のショスタコ節をキコキコやっていました。

どちらかというと、太く、芯のある音。美音ではない、それはショスタコだからかもしれないが、やたらでてくるドッペルもギシギシいって、それはそれでかっこいい。ショスタコだからか、そもそも不協和な重音だからか。

こういうギシギシで表現すべきものが確実にある、ということ。
で、そういう表現にヴァイオリンという楽器が向いていること。
また、そういう表現に女性が向いていること。

ざっと、そういうことが一挙に、同時に頭の中にポップアップしていま収拾がつかない、夜中だし、ビールN杯だし。

というわけで稿を改めます。

諏訪内氏の迫力に乾杯。
税務当局とのバトルは片付きましたか。いろいろあるようですが、ご活躍を。