啓発舎

マジすか? マジすよ

突然だが、何故仏像を有難がるか。
突然だが。
所詮偶像崇拝じゃねえか、とか、そういう暑苦しいことを言いたいのではない、ただでさえ、このくそ暑いのに。

京都にいた自分、じゃねえよ、時分、手当たりしだいにみた。
えーと東寺だろ、三十三間堂だろ、国立で天台の仏像あつめた展覧会いったろ、空海のもみたろ、あれは平成館か、奈良の片手の長いやつとか、東大寺にもいった、こうもくてんはちょっとよかった、仏像というよりそこらのおやじのリアリズム再現として。新薬師寺十二神将も、まあまあか、法隆寺だのなんだの、浄瑠璃寺のずらっとならんだやつとか。室生寺、これはまあよかった、興福寺の首だけのやつとか、阿修羅、これはガラスケースで蛍光灯という、いまでは考えられない何気ないパッケージだったが、これもよかったが、これも仏像というより美少年リアリズムだよな、唐招提寺薬師寺もみた。
まあ、みた。

どいつもこいつもぴんとこねえんだよ、と言おうと思って書いたのだが、結構、おー、というのもあったな、ならべてみると。
いいのもあったが、それはリアリズムとして、よ。




背中から、いがいが、放射状に鉄の棒が、宝塚の羽みたいにでているやつあるじゃないですか。
ほんとにあれの意味わからなくて、あれは、ほら、光線ですよ、後光がさしてるんですよ、という説明だか能書きだかには、目から鱗が落ちた。ついでに目も落ちるかと思った。

尊敬する谷岡ヤスジ画伯が、ガキが走ってるところを表現するのに、胴体から足を5本も10本も生やしたり、その車のようになった胴体+足だけを転々と配置したりして、子供心に瞠目したもんだったが、それと一緒だ。

共通点は、笑える、ということだ。

千手観音なんか、ガンツを見て初めてその意味がわかったよ。
あの手でやたらと手出しするんだね。
手数多いわけだ。
善用すればお慈悲だが、悪用すると、ガンツの化け物になる。

千手観音を後ろから見ると、孫の手だぞ。

孫の手100こ100円ショップで買ってきて背中でしばれば、あらあら不思議、君も立派な観音様だ。

バッハだってケーテンでパトロンと宗派違うから宗教音楽作れなくて、で、ブランデンとか無伴奏チェロとか傑作の森ができた。
まあ、バッハは宗教音楽もいいが、おいらは、ケーテンの、のびのびしたかんじが一番好きだ。


宗教とか、ドグマで主人もちになると、接する側をしばるんですよ。
邪魔だよ。

ショスタコぐらいだよ、しばられてそれをかえって歪んだエネルギーにして創作のパワーにしたのは。
社会主義リアリズムだって立派な宗教だ。


仏像は視覚だがね。
キリスト教はどうか。
これは、血なまぐさいので、はなからだめです、拙者は。
手のひらに釘打ったらいてえだろ。

神道とかイスラムが、では、まだまし、なのか。
三輪神社なんか、山全体が御神体だもんな。
なにものがおわしますかわからないけどありがたい、ということか。それは伊勢か。
イスラムは唐草模様。
日本の泥棒がイランで盗みにはいり風呂敷で包んだら、逮捕された。罪名は冒とく罪って、いま思いついたが、どうだろうか。
我ながら、まあまあじゃないかね、寒月くん。
月並みかね。





ともあれ。


ひとのつくったものは、「人」の範囲で受けとめる。
受け容れるかは、また別。

これぞおやじの生きる途、ではないかね、いい加減年とると。