啓発舎

マジすか? マジすよ

「誰も知らない」をみた。

後半ストーリーが破綻したのは、女子中学生、高校生か、を登場させたからだ。
羽田に埋めに行った帰りの、まるまる一曲聞かせるあたりなど、羞恥心というものがあるのか、この監督は、と観ながら思っていた。長い、ほとんど冗長ともいえるお話の最終段階がこれか。ここまで「説明」しまくるか。せっかく筆をおさえていたのに。作者の解説はなかったのに。
主人公の明は、大きくなり過ぎたね、文字どおり。大人になっちゃった。
神話として、子供の世界で終わるべきだった。

現実の事件を模倣する必要はさらになく、結末は四人の幼い最期でもいいし、大人の世界に取り込まれるのでもいいし、この映画のエンディングがそうであったように、まだ日常は続く、でもいい、のではあるが、再び言うが、この四人の神話的な世界を叙述することの筋は通すべきだった。

ディテイルは、素晴らしい。
「手」。マニュキアを塗る手、塗られる手。それがはがれていく「手」。コンビニの商品を前に、汗ばむ「手」。
握り合う手。
あと、女の子二人の表情。
不良二人組がいりびたるあたりの、二人の無表情の奥にあるもの。
四人で外出するときの二人の表情。
妹の髪をすく姉、その二人の表情。

明は前半がよかった。声。会話でもつぶやくような、声。

だけど、ほんとの主人公は京子さんです。
これは、京子さんのお話です。