◆週刊のほうの文春を立ち読みしていたら、阿川佐和子さんの対談で朝吹氏がでていた。
以下、記憶頼り。
M(朝吹真理子氏)水泳などの運動が好き。なぜなら意識が消滅するのどうのこうの(例の調子、当方の理解を超えるため再現不能)だから。
S(阿川佐和子氏)言い換えると、都合の悪いことは忘れてさっぱりするから、みたいなことでしょ。
M yes.
Sあなたの言うこと、私が翻訳すると、普通の人の思う事みたい。
というような。
阿川さん、えらい。そういうことか。阿川さんは大人だ。この人を見切っている。
大げさなだけか。 たとえば、遅刻の理由に特殊相対性理論をもちだすようなものか、と自分で言っていてなんだかわからないが。
まさに、語るに落ちる。
まだお若い方のようだけど、そういう癖があると、他人事ながら、この先しんどくなるような気がするが、ね。
ブレイクスルーがあるとすれば、鈍感力、というよりこの場合平気力、か。
本人、いくらなんでもうすうす気づくだろうから鈍感力では対応できない、むしろ、「わかってるわよ平気よ」力が必要で、なんだか、この人、その力はありそうだ。
将来なにになりたいという質問が嫌いです、という理由に「リニアな時間の流れがどうのこうの」というのは、いくらなんでもいかがか。
先行きどうなるかわからないし。そういう極めつけは好きじゃない、程度のことではありませんかね、「翻訳」すると。阿川さん、どうですか。
大風呂敷はいいが、いくらなんでも「時間」を持ち出すのは、どうか。
当方、時間とか空間とか言われると、ついつい寄っていって聞き耳をたててしまう性がある。で、がっくり、ということが多いのだが、こういうことに言及する人は、それなり、その人なりに誠実に向き合っている人がほとんど、相手が相手なだけに。この人にはそれがない。飾り。めずらしいね。
ついむきになった。大人気ないと反省。
というわけで、きのうのブログでいったこと、および朝吹真理子氏全般について、これでケリにしたい。そっちはそっちでうまくやってください。
今日はNHKの芸術劇場でチェロ二本立て。せんべい食いながらそれを楽しみます。