啓発舎

マジすか? マジすよ

◆神保町で税理士と仕事の打ち合わせがあり、5時過ぎ三番町の仕事場を出る。お堀沿いの近道。薄暮の空にはお月さま。
◆予定どおりの段取りで打ち合わせが終り、本屋の街へと繰り出す、いつもながらわくわくする気分。
信山社加藤周一の本がこれだけ平積みになっているのは、この本屋さんだけではないか。
◆入口付近で文春が山積み。岩波が文芸春秋を売る。
 立ち読み。買わず。最後に月刊の文春を買ったのはいつだっただろうか。旅順陥落の提灯行列の頃か。まだ創刊してないか。
◆通りの古本屋の店頭で講談社の日本の禅語録が一律525円で店晒し。当方、三月書房で2000円ぐらいで買った良寛が。
 一休があったので買おうと思ったが、狂雲集の訳がださかったのでやめる。
東京堂。やはり文春山積み。買う。
 思わぬ出費だ、ビールその他でくつろぐのがいつものコースなのだが予定を変更し、ヴェローチェでコーヒーとハムサンド。
◆なぜ、100年ぶりに、この俗臭ふんぷんの月刊誌を買ったか。
 今回の芥川賞の受賞者、朝吹真理子さんのほう、に時空について際立った感性があってどうのこうの、という世評があったからだ。
 このテーマについては、当方も多少は語る・・・にはまだ至らない、尚早、だが、チェックはしてもいい、と思う。
 知見をいただけるかもしれない、と。
 で、ざっと飛ばし読み。続いて、気になったディテイルをやや深読み、で、結局全編読了。
 もう遅いので、それに、結局ビールも飲んだから、今日は手短にしたい。
 以下、感想
◆結論
 肩すかし。単なる自由連想ではないか。
◆各論
 みんな私をみて、と自分にうっとりするお姫様の少女マンガの部分はカット。50のおやじには縁がない。
 夢見る夢子さんと十和子さんのからみは、したがって、まるごとなしね。
・以下、時間についての言及のある個所、いずれも、本編の要になっている個所でもある、をページだけ指摘し、論評する。読者は、しょうがない、文春買って確認してくれ。
・P397三行目「道、すいてきたわね」以下、P399下段一行目「瞬きの間に眠りに落ちこんだようだった」まで。
→夢と過去の記憶を自由連想のやりかたでごちゃまぜにして生硬な形容で羅列しました。時間についての似非アフォリズムらしきもので飾り立ててみました、という製法です。
・P406上段三行目「さびることさえ忘れたのか」からP407最終行「やはり鳴りすぎると貴子は思った」まで。
→同上。かつて住んでいた家にしばらくぶりに再訪した際に一挙にフラッシュバックする過去の記憶。当然時間は前後する。その描写。

 なにが言いたいか。
 「時間」を小道具として使ってはいるが、単なる「ランダムに想起する記憶」を連ねているだけで、そこには時間、あるいはそれと交錯する空間と突き詰めて対峙する誠実な、というのは、心から、やむにやまれずしみてくる意識が、まるでない。

 記憶が、なにかの拍子にわっとでてくるときは、時系列ではないよ、というだけのこと。また、夢、あるいは目覚めまぎわの夢、この人は狸寝入りという用語をするが、とうつつが交錯するときは、流れる時間の感覚が途切れるよ、と、要はそれだけのこと。

P391に「受賞のことば」の冒頭から11行目まで、おそらくこの作品のテーマとおぼしきことについて語っているが、どうか、なにかの機会に、このあたりを詳しく説明していただけないだろうか。
 空想、連想は時系列に数珠つなぎにならない、というだけのことだったとしたら、語るに落ちる。時間がどうのと大上段に構えるほどのことか、と。

 まあ、二作目、三作目で、だいたいわかると思いますが。

最後に、選評について。
池澤夏樹が特にだめ。
「『ひとしく流れつづけている〜かもしれなかった』というあたり、驚嘆に値する。」とは、どういうことだ。全然読めてない、はったりのデコレーションにやられている。P406からP407の当方の解読を薬にして、少し頭を冷やしなさい。
村上龍宮本輝がしっかりしている。特に、村上は、この作者のいかがわしいところを正確に読み取っている。
 村上さん、褒めたのだから、少し引用させてください。
 以下、抜粋(西村賢太氏への言及は除く)。
・相応の高い技術で書かれていて、洗練されているが、「伝えたいこと」が曖昧であり、非常に悪く言えば、「陳腐」であるということだ。
・『きことわ』のテーマを乱暴に表せば、「失われた時間は取り戻せないが、それはそれで美しいし、現在とつながっている」ということかもしれない。<中略>そういったモチーフは古く、文学的な手垢にまみれている。
・『きことわ』における異なった時間の描き方は秀逸だと思う。<中略>一般論としてだが、高度な洗練は、この閉塞的な現実を前にしたとき、作品を陳腐化する場合がある。
 引用以上。
◆賛成である。
 だが、一点だけ指摘したい。村上氏ほどの手だれが、「時間の描き方は秀逸」とは。池澤同様、はったりに幻惑されているのか。
◆この女性の「時間の描き方」こそ、選評での村上氏の表現を借りれば、最も「陳腐」、というのが、今回当方の言いたいことのすべて。時間に関することだけが当方の興味。
◆しかし、モチーフは古く、文学的な手垢にまみれている、ということは、当方気づかず、小説家の見識に脱帽。

 以上、文句ばかり言ったが、当然、じゃあおまえはどうなんだ、と、自分でも思う、自分に対して。他人をだしにして自分を語ろうというのは安直。おめえの「時間」認識はどうなんだ、と。
 「時間」・・・と空間のことについては、対抗上、というのもなんだが、当方もすこしあっためてみようか。
 「時空」のことについて誠実であろうとすると、まず、沈黙することから始めないといけない。のではあるが、もう、かれこれ6年沈黙しているし、なあ。
 「美の不意打ち」とか言い出してからもう6年だ。