久しぶりに本の話です。
書名 やまだ眼
著者 山田一成 佐藤雅彦
出版社 毎日新聞社
新刊。新刊について書くのは初めてじゃないか。
先週、お彼岸の日、お能の帰りにスタンド(という名前の新京極の飲み屋)で一杯やってから、四条のジュンク堂で立ち読みして、半分ぐらい読んだのに、あまりに面白いので、つい、買ってしまった。
実は、どういうジャンルになるのだろう、お笑い系(と世間では目されている)の芸人が書いた本とか、投稿ネタを集めた本とかは、結構すきだ。
市ヶ谷の文教堂は待ち合わせによく使うのだが、その種の本を集めたコーナーが棚三つ分ぐらいあって、相手が30分ぐらい遅れても、びくともしません。「悪い悪い」なんて言いいながらやってきても、そのコーナーの前から移動するのが名残惜しいような気になるほど。
で、そこらで飲んで、じゃあね、と言って別れて、また立ち寄るのだが、酒がはいっているせいか、棚ごと買い占めたくなる。
飲むと、本を買う。飯田橋の深夜プラスワンでも、しらふでは立ち読み、買うのは飲んだときだ。
というわけで、セオリーどおり、飲んで買った、この本も。
前置き長い。
本題。
これは現代詩の傑作だ。
いろんな風合いの断章が集められているが、当方が、うなったのは、例えば以下の作品。 少しだけ、みっつぐらいだけ引用。
地下鉄の生暖かい風をあびると、関係ないのに、地球滅亡は目の前だと感じてしまう。
包丁でしか切ったことのない食材をハサミで切ったとき、生き抜くとは残酷なことだなと感じた。
外でかあさんが自転車にのっているのを見ると せつなくなる
作者は、かなしいとき〜 の「いつもここから」の、前のほうでファイティングポーズしているおにいさん。
日常のなかから、微妙なずれ、違和感のようなものを捕虫網をふるって捕らえる名人。
本質は、含羞の人、だと思う。
作品にも、恥ずかしい、とか、切ない、という言葉がよく使われる。
佐藤雅彦さんは、好き(こどもの頃の思い出を書いた本、砂浜、とか少年とかいうタイトルだったと思うが、よかった)だが、個別の作品に解説を加えるのは、不要、のみならず、詩の味を薄めるだけで、ないほうが良かった。
テレビでは、どけどけ じゃまだ じゃまだ、とか言ってるおにいさんだが、今後の展開が楽しみだ。