啓発舎

マジすか? マジすよ

そばやの話。


淡路町のやぶは、火事のあと行ってない。
焼けた、から、行っていないのではない。火事の前も足は遠のいていた。
ずいぶんご無沙汰だ。いまどうなっているだろうか。

というわけで、昔話です。
昼下がり、椅子席で一杯やっていると、向かいの小あがりに若い男がやってきた。
靴を脱がず、片足を座敷にひっかけて腰かける。植木職人みたいなかんじ。
せいろが来る。
例の作法で、たぐる。
一口、二口。
あっというまに食い終わって、そば湯飲んで、すぐ席を立って、さっさと出て行った。


そばやに何度通ったかわからないが、こういう奴を見たのは後にも先にもこのときだけだ。
なんか、博士浪人かアキバの常連か、という、風体はいなせの対極みたいな奴だったよ。

おれだけじゃない、相方もちゃんと目撃している。
なんだあいつ。
こっぱずかしいね。
というような会話を交わした覚えもかすかにある。


本人は、店を出て、おれこそそば食いだぜ、と、意気揚々気分爽快充実感を反芻しているんだろうね、さだめし。



そばやもクラシック音楽界も落語鑑賞ワールドも、こういう奴らが構成している。


これを、いなかっぺ、というのです、私は。


座敷にあがって普通に食えよ。
日常どこにも存在しない「そばぐい」を無理やり演じてどうするよ。


羞恥心、がキーワードだ。
羞恥心をかなぐり捨てるか、或はもとからそんなものの持ち合わせがない奴だけがいなかっぺの尊称に値する。

寄席のはなしもそばやのはなしもしたので、いなかっぺシリーズはこれで終了。