悪態ばかりついているせいか、きのうから突然日本語入力ができなくなり、画面が正視できないレベルでまぶしくなったり、で、たいへんだった。
メーカーサポートの遠隔操作で、いま治ったところ。
ありがたいです。
原因不明、考えられるのは、プログラムアップグレードの際に不具合が発生していた、ということのようだ。一番最近はインテルディスプレイなんとかだから、こいつの仕業か。
いやだね。
久々FT様の登場。
とりあえず以下。
当方もそれほど暇でもないので、論評は後程。
書きぶり、内容とも、極上のブツだ。
私はクリエーティブではない。大半の同僚もクリエーティブではない。フィナンシャル・タイムズ(FT)は、ニュースを見分け、エレガントに書き、なじみのある知識と驚きが適度に混ざった記事を読者に提供する方法を知る賢い人たちを雇っている。一定の役割を果たすのは経験と知識、訓練、判断力、スキルそして知性だ。文章を書く力、考える力もそうだ。ここには、クリエーティビティー(創造性)はほとんど入ってこない。FTを侮辱しているわけではない。褒めているのだ。
経営者や管理職は20年にわたり、クリエーティブであるということの何たるかについて、たわ言を繰り返してきた。クリエーティビティーは、少ないより多いほうがいいとされる。過剰なクリエーティビティーなどというものは存在しえない。
交流サイト(SNS)のリンクトイン上には、仕事の肩書に「クリエーティブ」ないし「クリエーティビティー」という言葉が入った人が200万人近くいる。求人検索サイトのインディードには、クリエーティビティーを採用の条件として挙げる求人案件がロンドンだけで3万2000件ある。これに対して応募者に礼儀正しさを求める求人はわずか2700件、協調性は辛うじて300件程度しかない。
礼儀正しさと協調性は私の知っているあらゆる仕事にとって必須の資質だと考えると、これは実に不可解だ。大半の企業は本物のクリエーティビティーに一切用がないというのに。
■肩書は「イマジニア」?
この「クリエーティビティー病」はあまりに広がったため、かつては創造性がタブーとされたところにまで及んだ。経理部門がそれだ。会社のキャッシュフローの計画を立てる人材を探しているアストラゼネカは求人広告で、「アイデアとクリエーティビティーに対して報われる」会社の雰囲気をうたっている。
マネジメント専門家は、いよいよ愚かさを増す研究であおっている。ばからしさここに極まれりといった研究がハーバード・ビジネス・レビュー誌に掲載された論文で、スタッフがよりクリエーティブになるよう、「イマジニア(イマジネーションとエンジニアをかけた言葉)」のような滑稽な肩書を与えることを推奨している。憂慮すべきは、この論文が肯定的に、サンドイッチ店のサブウェイで七面鳥の肉とプロセスチーズをパンに詰め込む「サンドイッチ・アーティスト」を例に挙げたことだ。
不運な労働者がそのようなばからしい名前で元気づけられると思うことが恩着せがましいだけではない。クリエーティビティーはそもそも、サブウェイが目指しているものではないはずだ。サブウェイのサンドイッチを1分間に4800個作るグローバルな機械を動かすとき、生産ラインにおけるクリエーティビティーは推奨できない。
先週、クリエーティビティー崇拝が峠を越えたかもしれない最初の兆候に出くわした。ファストカンパニー誌が「仕事であまりクリエーティブにならない方法と、時折そうすべき理由」と題した記事を掲載したのだ。記事は、過剰なクリエーティビティーを持つ人は上司にとって迷惑な存在になることもあり、多くの場合、企業は新しいアイデアなど忘れ、やっていることをやり続けることが賢明だと論じていた。
この記事は2つの点で際立っている。まず正しい。次に、ほかのどんな組織よりもこの愚かなトレンドを言いはやしてきた組織によって掲載されたことだ。何しろ、ファストカンパニーの怪しげな使命は、「ビジネスの将来を積極的に生み出しているイノベーティブでクリエーティブな新しいタイプの思想的リーダー」に刺激を与えることなのだ。普通の労働者が、20年にわたってクリエーティビティーを強制されてきた後、いら立ち始めている可能性もある。先週、広告大手WPPグループ傘下のカンター・メディアは、世界中の全従業員を招待し、部屋に集まって、自分たちの考える「驚くべき世界」を作るためにレゴで遊ばせた。
従業員たちは果たして、カラフルなブロック玩具を持った子供のふりをすることが、クリエーティビティーを力強く解き放つことを発見しただろうか。全員がそうではなかった。あるスタッフはこの悲惨な1日について私にメールをよこし、その件名に「自分の職場史上最も無意味なこと」と書いていた。
メリアム・ウェブスターの辞書には、クリエーティビティーとは「新しいものを作ったり、新しいアイデアを考案したりする能力」のことだとある。世の中には新しいアイデアはほとんど残っていないし、大半は思い切り愚案か、あまりに斬新なために一般の人が良いと認識できない。画家のゴッホにしたって、生涯を通して絵は1枚しか売れなかったのだ。
正真正銘の新しいアイデアを生み出せる人は、極めてまれだ。私は2人しか知らない。1人は詩人で、もう1人は発明家だ。どちらも完全に自己流で物事を進める人々で、どちらも大したお金を稼がなかった。そして、どちらも会社勤めは5分ももたなかったろう。彼らは会社の仕事を嫌うだろうし、会社側も彼らを嫌うからだ。
生き残るために、企業は時折、変わる必要がある。以前のやり方とは若干異なるやり方で仕事をする必要がある。だが、そのためには、クリエーティビティーは必要ない。企業に必要なのは、既存のアイデアの正しいバリエーションを導き出す知性と判断力を持った人材だ。それ以上に必要なのは、そうしたアイデアを試し、その結果に沿って微調整して、売り上げに変える決意を持った人たちなのだ。
◆FTは「エレガントに書く」そうだ。
そう宣言して書いているのだから、この記事も「エレガント」であるか、或はそのつもりなのだろう。
鏡見てうっとり女はあまり傍からみたい景色ではない、それが絶世の美女であったとしても。ましてやそれがそこらの勘違い女だったとしたら。
とだけ言っておこう。
どう思うかは受け取る側次第だ。このところ文句続きなので、この記事の筆者の書きぶりが傾城か形成・・・外科かは論評を控える。
◆中身は、だから奴隷階層は没落する、という世界標準を追認しているだけ。
創造性、あるいは自分の頭で考え判断し実行すること、こそが必要なので、それ以外の奴は、AI代替って言ってるだろ。
もうこの話は終わりにしたい。