啓発舎

マジすか? マジすよ

恒例の営業会議を恵比寿でやろう、と昼呑み。

打ち合わせはおわりました、さてところで、と、差しさわりのない話題からはじめると、いま、どうしても舛添になる。
珍しく先方が、ばっさり斬って捨てる。
何やったかはどうでもいい。
喧嘩っ早いくせに往生際が悪いのが男として一番みっともない、と。

これは成程と思った。

坊ちゃんが赤シャツに卵投げておいて数学の教師を続けていたら大向こうの喝采は得られない。
逆に、卵を投げられた赤シャツがあっさり教頭を辞したら、悪役ぶりが減殺する


で、感心していると、そっちはどう思う、というので、あっちとびこっちとびしながら概略以下の内容を言った。
老若男女にあまねくこれほど嫌われるというのは、結果として舛添のご人徳ではないか、逆説でなく。
人と人が引き合うのは、当方の体感では、面白の感覚です。
真善美とかとは必ずしも合いおおわない。
面白は、むしろそこからずれた引っかかりにあり、引っかかりとは、文字通り、その人の「ひっかかり」のことだ、と同義語反復で回答するしかない。
それをこれだけ具備する舛添は天晴れである、文字通り。


じゃあ、舛添と付き合えるか、というので、それとこれとは別だ、とは言いました。
人を寄せない、という「引っかかり」も、ありそうだ、あいつは。
「抜け」がないかんじだね、おやじのくせに。

引っかかりはあるつるんとしていない、もうどうでもいいです、でもある。
そんなところですかね、おやじが群れる接着剤は。

ひっかかりで互いをからめとり、どうでもいい、でくっつく。


で、まあ、よろしく、ってことです。ほんと。
お互い、「ひっかかり」でほどよくのらくらやっていきましょう。