さっき数字のメール打ってボールを相手にぶん投げたのでひと段落だ。いきおい、おつむはめずらしく世間様モード。
時事ネタか。
と、そこらをのぞいてみるのだが。
盛り上がりません。
遊び歩いているおいらに問題がある、おそらく。
この陽気ですっかりふわふわしてしまってどろどろエネルギーの充電が足りない。
舛添もベッキーも、そうですか。
そっちはそっちでうまくやってください。
日本中おればかりだったら、週刊誌売れない。
そこで今日は、みなさんと、ゴージャス、について考えてみたいと思います。
きのう、対岸のキハチのテラスをながめながら、そうそう15年前、と。
当時、週末このあたりによくいた。引っ張り出された。
キハチのテラスにもいた。
犬コロ連れた地元のおやじ、みたいなのがとなりのテーブルにいたりして、それなりのオーラを発散していた。
とか書いていて面倒になってきたので要約すると、当時の時空間はいまより、豊か、だった。明らかに。
食い物の値段も、平気で、高かった、はずだ。
当時、おれも背伸びして、シティバンクが、後発で食い込むために、預金積むとプライヴェートバンクですよ、とかいう仕組みにのっかて、10年後はおれも、どうかなあ、とか、そんな会話をしていたのでした。
15年後、犬は連れていないし、そもそも金払ってそっちにすらおらず、向かいのベンチで缶ビール、ですら実はなく、新ジャンル飲料、酒税の分類ではリキュール、をこそこそやってるおれの姿があった。
対岸の客一味に、ゴージャス感は、すでにない。みたところ。
あれから苦節15年おれさまがどうなったかは「それはまたあとの話」として真田夏の陣のころのお楽しみとさせてもらうが、今回の主題であるこのあたりに徘徊するみなさまの普通なかんじは、やっぱり当え時と違う気がする。
さらに10年さかのぼると、バブルですから、また別次元ですけど。
恵比寿ができたのはバブルがこけた後だったが、まだ、華やいでいた。
いま、どうか。
できた当時、水に高い値段つけて売っていたカフェがあったあたりは、いまや無料の休憩処だ。
年年歳歳。
実際に金が回っているかどうか、というより、空気ですね。
諸行無常。
という無常観を覚えるおいらは、見性の閾か。
ハハ。