啓発舎

マジすか? マジすよ

それにしてもコルトレーンはやっぱり凄い。
中期というのだろうか、ジャイアントステップあたりを聴いていると、この先どこまで突っ走るか、おれも伴走できるだろうか、という気になってしまう、夜中に。

実際その先どうなったかは、その、ああなったわけだが、おれは結構ついていけます。
至上の愛なんかも、純粋に音楽として、三楽章のエルビンジョーンズとのからみは凄まじい手に汗握る。例のお経は、ちょっと、と思うが。 

おれなんか、遅れてきた青年だから、後期も初期も一緒くたでいちどきに聞いた。
後期のどしゃめしゃに退かなかったのは、山下さんとかでフリージャズは慣れっこになっているせいもあるかもしれない。
同時代で、あの中距離全力疾走みたいなコルトレーンについていくのは、やるほうも聴くほうもたいへんだっただろうと思いますね。
至上の愛をamazonで見ると64件のレヴューがある。
コルトレーン教信者は、もう音楽聴いてませんから、宗教ですから、混入した雑音をも崇め奉る。
うーんちょっと、というのは、ブルートレインとかのファンで、こっちのほうが虚心に音楽と向き合っているかんじがする、好き好きだが。
ジャズ界って、どちらかと言うと、マイルス教とかコルトレーン宗とかの宗教界とたえるとわかりやすくて、評論家は、それぞれの伝道師。
youtubeとかamazonの功績は、それを、改めて、音楽として一般に開放したことだ。
たいへん喜ばしいことです。
本音で音楽を語ると、コルトレーンは、おれも、エルビンジョーンズが抜けるまえあたりまでのスリリングな疾走感だと思う。

だが、そのまま行くと、一人身にしてワグナーとシェーンベルクを両方体現するしかない、という必然的な道筋を、ためらわず突き進んだコルトレーンは、どてらい奴だ。

袋小路になっちゃったのか風穴を開けたのかは、amazonみても、みんないまだにいろいろ言ってるが、おれは、コルトレーンのどでかいベクトルを、そのまんま鑑賞したい。