年だ。以下、例証する。
◆字がたくさん書いてある本がだめ。
文庫の「世界史」が評判ということで、買う前提でいくつかの本屋で立ち読みして断念。
○○の☆☆が××によって□□された結果出来した△△は、・・・ここまで主語ね。
という、やたらあたまでっかちな主語の翻訳文は、特に、ハナからギブアップ。
◆長尺の映像は最後まで見られない。
だからこないだのショーシャンクは快挙ですよ。
温泉 他に気晴らしなし いつもほどは疲れていない モーガンフリーマンが沁みる 幸い、連れは爆睡、いつものような邪魔がはいらない、などの条件が重なり奇跡的に実現した、とある識者は分析しているようだ、識者といえばもちろんオレさまを措いてないが。
石牟礼道子さんのドキュメンタリーすら最後まで持ちこたえられなかった。
◆どしゃめしゃ音楽よ、さらば
マーラーなんか、長いし、くどいし、去年のいまごろ復活を聞きに行ったが、帰りは辟易感あった。幻想もそうだった。
音楽は骨格だけでいい。バッハが一人いればいいんじゃないか。
◆道行く女がこわい。
文字通りこわい。殴られるんじゃないかと思う。
これは年のせいじゃないか。割合国民の共通認識か。
◆思いだす気力がない
度忘れだから、少し思い起こせばひっぱりだせそうな事柄も、思いだそうとすら、しない。
◆引き算で考える。
なにかやろうか、どうしようか、というとき、あれこれそれがあるな、やめよう、というかんじ。一番おおきい判断要素は、時間ですね。
いいことは、ただひとつ、万事どうでもよくなったこと。
世の中のほとんどのことは、もう、どうでもいいです。
王維の、なんだっけ、晩年唯好静万事無関心だったか、二三文字は違うか。
これは、沁みる、ほっとする。