◆読売と朝日が泥仕合をやっている。
巨人の契約金がどうしたこうした、と。
全国紙の一面で争う重さがあるのか。
喧嘩するのは勝手だが、一面は使うなよ。
◆最近、説教する歌が多くないか。特に若い衆向け。
今日日のわかいもんは叱られるのが好きなのか。
なんだか、ものすごく不健全なかんじがする。
はやり歌は、やっぱり
・ちょっと一杯のつもりでのんで、いつのまにやらはしご酒
・ユッフォー
・きみたちキウイパパイアマンゴーだね
・ズン ズン ズンドコ
など、王道を歩んでいただきたいものだ。
◆徹底的に意味のないことを追求する、というのは案外難しいことだぞ。
◆などとまぜっかえしておいてなんだが、がれき受け入れ反対、は、ちょっと、あれですね。
「震災がれき受け入れ、環境相ら街頭で協力呼び掛け 反対市民から怒号も/川崎」というニュース。
「がれきは地元で安全に処理を」などのプラカードを掲げた市民も集まり、怒号が飛び交った・・・そうだ。
実は、4月の末から5月のゴールデンウィーク明けまで、被災地にいた。仙台のホテルに泊まっていた。
津波の襲来をまともに受けた海岸にも二度ほど足を運んだ。
震災から二カ月近くたっていたが、そこら中がれきの山。かろうじて道路だけは通行できるよう撤去されていたが、その分、道路沿いは、他の場所より一層高く積み上げられていた。
月並みだか、おいらも言葉を失った。
東京都は受け入れたそうだ。
石原さんは、例の失言癖で「天罰」とかいって叩かれていたが、この決断は、多としたい。
「がれきは地元で安全に」のプラカード氏にいいたい。
破壊つくされて、おまけに、がれきの始末まで、被災地が自ら負うのか。
思わず手を貸したい、というのが人情だろうが。
お国のため的イデオロギーで「助け合いの精神」を押しつけるのはよくない、とは、おれも思う。
が、「地元で安全に」というなら「安全に」というなら、神奈川でも受け入れたらいい。
だが、プラカード氏は、もちろん本当はそう思っていない。
「安全」に不安があるから反対する。
それもわかる。放射能はこわいし、国のいうことは信用できないし、というあたりだろう。
ならば、「地元で安全に」とはどういうことか。
「がれき処理のリスクも、この際被災地でかぶりなさい」という意思表示そのものだ。
こういう、鈍感、キョ傲(漢字変換できない)な了見が存在するということは、きちんと記録しておいたほうがいい。