◆今日8月28日付けの日経読書欄。「半歩遅れの読書術」恩田陸
要約する。
3月11日以降、筆者は、津波による犠牲者数は・・・というアナウンサーの声を聞きながら一升瓶に毒をいれる機会があったのは誰か、という推理小説の会話に没頭していた。
ページから目をあげれば、あまりに無慈悲な状況であるというのに、なぜこんな小説を読んでいるのだろう。
しかし(肝心なところなので以下原文のママ)、先祖の因果も含め狭い人間関係の内に長年に亘って降り積もった憎悪や、利己的で個人的な強い殺意と同期を抱いて念入りに計画を立て他人の命を奪うという行為を、一冊掛けて解決し犯人を糾弾するという物語に、私は紛れもなく慰めを見出していたのだった。
以下、また要約。
推理小説というジャンルは、ある程度社会が成熟したときに流行るといわれている。明日も平和な日常が続くという信頼があって初めて愉しめる。だからこそ、推理小説を楽しめる日常を早く取り戻さなければいけない、と思っていたが、上には上がいる。
(以下、また原文、急所です)
国の中枢と呼ばれるところでは、狭い人間関係の内に長年に亘って降り積もった憎悪や、利己的な強い動機を最優先にし、ページから目を上げようとしない人々がわんさといるのであった。彼らに率先してそんな虚構を愉しむ余裕があるのだとすれば、日本は今もとんでもなく安全で平和な国なのだろう。
おしまい。
いまの、この国の政治状況を喝破してあますところない。
さすが推理小説作家だ。この無駄のない短い文章でも、前半にちゃんと伏線をはる。
啖呵はこう切るんだ、というお手本。後世に伝えたい。