啓発舎

マジすか? マジすよ

正法眼蔵の随聞記のほうを読んでいる。
えじょうの主観がはいってる云々は、そうだとして、ほとんどとりつくしまのない眼蔵本編にくらべ、人間道元の、隙のようなものが垣間見えるのが面白い。元気でる。
猫のエピソードが肝だと思うのだが、いきなり切って斬って捨てるのはいささか乱暴ではないか。
禅は、こういう挿話が多い。いきなり、びんた。いきなり灰の壺ひっくり返す。
だけど、意外にこの本はこの種の話が少なく、この子猫のくだりだけではないかしら。
あとは、一言で言って、只管打座。
弟子には、やはり、「水、水をみる」みたいなことはあまり言わなかったのか、朝礼だの夜話だのでは。
◆こういうことをむきになって言い張っていた人が14世紀のこの国にいた、ということ。そういうことがなんだか励みになる。