啓発舎

マジすか? マジすよ

で、西村賢太。「苦役列車」。
◆おもしれえじゃねえか。
◆自分ではどう思ってるかしらないが、おぼっちゃんですね、この人。
山田詠美氏が鋭く指摘していたが、「ぼく」「おそば」「お刺身」はないだろう。
◆他に当方が気づいたのは、「弁当を使う」。文芸春秋P45213行。大徳寺三玄院の茶事じゃないぜ。運河沿いの岸壁だぜ。「使う」はないだろう。気になったので、その後、弁当に続く用言を拾ってみる。「平らげる」これはまあいい。次。「食べる」。でた。「食う」、だろう。弁当は、「食う」ものだろう、桟橋では。労働の後は。
◆P489下段16行。「ふうん、そうかね。でも僕の無断欠勤よりか、おめえのそのやりくちは、少々老獪だね」。
 誓って言うが、「ぼく」と自称するやつは相手を「おめえ」とは言わない、言えない。逆に「おめえ」という奴は、死んでも自分を「ぼく」とはいわない。
 限られた相手に、実は、当方も「おめえ」よばわり、する。わざと、する。本郷の大学院をでてアメリカでMBAの理系のやつ、頭文字わすれた、をとった奴を相手に「おめえ」という。「おめえ」という以上、そういう気合をいれている以上、自分のことはオレ、と言わざるをえないだろう。「ぼく」だと、気合負けするだろう。
 それから、「老獪だね」しかも「少々」つき。か
 年季はいってるな、賢い、ずるい、いくらでもあるだろう、話言葉が。「老獪」はないだろう。確信犯だな。わざと使ってるな。
◆この人、結構達者じゃないですか、「老獪」なのは、西村先生、あなたです。
◆話かわる。前半、ブコウスキーのこだまが聞こえたのは当方だけか。
◆「根がひがみ根性にできてる貫太は」「怠惰な人足の貫太は」「自分とは無縁な世界に一切の興味のない貫太は」「根が気嵩にできている貫太は」「なにかと云えば開き直って悪度胸を固める貫太も」他、引用めんどうなのでやめるが、そこまで自己に言及するか。貫太よ、いや賢太よ、「おめえ」は多面的なやつだ。十分複雑だ。
 一所懸命愚鈍を偽装するけど(P445下段の自虐の連打)、ばればれだぞ。
◆「お前はばかだ」で嗤いをとる奴と「おれはだめなやつだ」で笑ってもらおうという輩がいるとすると、西村氏は無論後者だ。そういう芸風は好きだ。だが、過ぎるとあぶないぞ。今回の作品は、ぎりぎりで踏みとどまっているということにするが、あと1センチ踏み込むと、あざとさ丸出しになるぞ。今回は大目にみるが。
◆結局、本人がどう言おうと、若さを謳歌するわがまま坊やのだだっこぶりがまぶしいぜ、というのが当方の読後感。
 おやじは、すれっからしだぞ、この程度の偽悪じゃだまされない、こっちだって散々トホホなんだから。
◆このあたりが、この人の今後のハードル。
 自分じゃいっぱしの悪のつもりが、世間から見れば甘ちゃん。怠惰なつもりが結構勤勉。
 私小説と銘打つが、どうですか。
◆この世の果てまでいったつもりが、山田詠美さんの掌のうえでした。

◆それはそれ、前半の畳みかけるスピード感なんか気持ちいいし、面白かった。
 芸風がどうなるか少し興味ある。次回作も読みます。