朝から京都。
出町ふたばで豆餅その他を買い込み、鴨川が賀茂川になったあたりのベンチで、一人で花見。ビール。
たまに通るジョギングおじさん以外、人っ子一人なし。
対岸の桜は、もやもやして綿菓子みたい。
上を見上げると、花が屋根のよう。
川面は朝からにぎやかだ。
黒い水鳥は、鵜、だろうか。近くにいる白鷺やらアオサギやらと違い、意味なく(意味あるのか)つばさを広げてみたり、水の中に頭を突っ込んだり、落ち着かないぞ。
白鷺が首を伸ばしたところは、安宅コレクションの白磁の徳利みたいだ。
小鳥もいろんなのがいて見飽きない。つばめは低く飛んでいる。
で、小一時間ぼーっとする。もう少しいてもよかったのだが、ポツポツ降り始めたので、腰をあげる。
下鴨神社。閑散。
高野川のあたり。閑散。
11時に予約していたので、下鴨茶寮。ここも閑散。
花見弁当と冷酒。
品の良いお庭。接客も過不足なし。
入れ込みの席ではあったが、前半1時間は貸切状態。
12時すぎて、何組か客がはいってくる。
弁当とはいっても、お重二段に、お椀(蛤のしんじょう)、揚げ物、お造り、水菓子つき。
1時間半ほど、いい時間を過ごさせていただきました。
今度は誰か連れてこよう。
近くまできたので、ということで、アドリブで銀閣。
雨で苔がうれしそう。
ここのお庭の石組みは、ほんとに美しい。
哲学の道は、本降りで、断念。
橋本関雪のとなりのノアノアというところで一休み、ビール。
続いて、進々堂の本店でコーヒー。
ここで読んだ雑誌の書評に触発されて、京大生協で本三冊。
時計台の建物のイタリアン(本格的)でパスタ、ワイン。
という一日。
しみるね。
今日の発見。
景色は一瞥0.5秒だ。
こういうこと。
雨が降ると、東山のあたりに霞みがかかったようになる。
ふと見上げ、稜線、霞み、その奥の稜線の連なりに、どきり、とする。その刹那は、その映像に稜線とかの意味はない。濃淡の異なる灰色の連なり。その、美しいというか、普遍というか、時空そのものというか、まあ、そういう言語で処理できない感覚。
で、0.5秒後、ああ、これは山並みだ、と認識する。
桜もそうです。
白いもやもやに黒のくっきりとした線。
ああ、桜だ。
苔なんか、緑という色そのもの、空間そのものが緑。
石は白、もしくは黒。
緑白黒という色だけが空間を充たす。
これは、3秒ぐらいもちます。
そういうものがこの場所には、ある。
結局、時空を、そのままとらえる、ということでしょうか、ねえ。
終日雨の中をとぼとぼ歩きながら、そんなことを反芻していました。